この記事をまとめると
■トヨタ・センチュリーはクラウンの系譜から誕生した最上級車である
■職人による手作業がトヨタ内で最高の品質と価値を支えてきた
■今後はブランド化によって世界的高級車へ進化を目指してゆく
伝統を基盤にブランドとして進化
トヨタ自動車は、ジャパンモビリティショー2025にてセンチュリーブランドを立ち上げると宣言した。1967年から続いてきた4ドア高級セダンの地位を保ちながらSUVやクーペを加え、トヨタの最上級車種として世界に誇るブランドに育てていこうとの意思の表れだ。
源流となるのは、1967年に登場した初代センチュリーである。
その前に、改めてクラウンの存在に触れる必要がある。クラウンの誕生は1955年。今日に続く、トヨタのなかでもっとも古い車種でもある。
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第二次世界大戦後、日本の自動車メーカーは乗用車を生産し市販する経験が少なかったため、欧米の車種のノックダウン生産など、海外の技術を利用した例が多かった。しかし、当時のトヨタ自動車工業のこだわりは、独自技術による乗用車開発と製造、そして市販であった。それがクラウンとして結実したのである。
7年後の1962年にはクラウンは2代目へとモデルチェンジした。そして、直列6気筒エンジンを搭載した車種を設けるなど、5ナンバー車の時代ではあったが、日本の上級4ドアセダンの代表として高級指向を体現していた。この2代目を拡幅することで誕生したのが、1964年のクラウン・エイトだ。車名にあるとおりV型8気筒エンジンを搭載したクラウンで、車体は3ナンバーとなった。
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そのクラウン・エイトを受け継いだのが、1967年に誕生したセンチュリーである。開発を率いたのは、初代・2代目のクラウンで開発主査を担った中村健也だ。長岡高等工業学校(現在の新潟大学工学部)を卒業した根っからの技術者である。
クラウン・エイトがクラウンを基に開発されたのに対し、センチュリーは専用開発がなされた。公用車や社用車として使われることを前提とし、製造や整備のしやすさという合理性より、快適性など性能重視の設計がなされ、生産は関東自動車工業(現在のトヨタ自動車東日本)で職人の手作業により行われた。
今日でもほとんどの市販車が米国フォードが最初に行った流れ作業による生産方法を基本とするが、センチュリーの製造は、ドイツでガソリンエンジン自動車が発明されて以来欧州などで行われてきた、1台のクルマを数人の職人が最後の工程までかかわるやり方が採られていた。たとえば車体の外板なども、組み付けたときに若干のずれやたわみがあれば、職人が手作業で叩き出し修正していく。
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一組となる数人の職人たちは、そうした板金から車体の組み立てなどを含め、製造のすべてに精通した技術を身に着けていなければならない。言葉どおり匠の仕事である。このやり方で、初代センチュリーは1997年まで30年にわたって永く生産されてきた。
そして2代目へモデルチェンジし、これも20年の歳月を経て17年、現在の3代目に受け継がれた。初代センチュリーの価値は、日本を代表する高級車であるのはもちろん、ガソリンエンジン自動車が誕生した19世紀末から職人の手に委ねられてきた伝統的手作りが継承されたことへの驚きと、その匠の技への敬意にある。そうしたものづくりを30年も続けられたのは、まさにトヨタならではの偉業といえるのではないか。