幻のスポーツカー「ガライヤ」に鈴木亜久里・土屋圭市のレジェンド2人が試乗! いまから「プロジェクト復活もあり?」とさえ思わせる走りとは? (1/2ページ)

市販化されなかった幻のスポーツカー

「ガライヤ」。この名前を聞いて「ああ、あのクルマね!」とすぐさま姿を思い浮かべることができるのは、そこそこクルマに詳しい人だろう。さらに「オートバックスが作ったスポーツカーでしょ」と続いたら、これはかなりのクルマ好き。また、スーパーGTで活躍したGT300マシンも、印象が強いのではないだろうか。

 そもそもガライヤは、2002年の東京オートサロンに登場したミドシップのライトウェイトスポーツカー。開発を手がけたのは、カー用品チェーン店のオートバックスを運営するオートバックスセブンの社内プロジェクト、ASLことオートバックス・スポーツカー研究所だ。

 かつて少量生産の軽量スポーツカー、トミーカイラZZを生み出した解良喜久雄氏らが手がけたアルミシャシーに、シザースドアを備えるシャープなボディを組み合わせ、3775×1825×1185mmというサイズに凝縮。2375mmと短いホイールベースもあって、機敏なハンドリングも期待できるパッケージに仕上げられた。

 エンジンは日産のSR20型で、それを6速MTで操る。いずれもプリメーラなどで定評のあるコンポーネンツで、2リッター直4のNAエンジンながら、950kg前後のボディには十分すぎる204馬力を発生するとともに、信頼性も確保。また、外装ではテールライトやドアミラーをアルファロメオ147から流用したが、元からデザイン性の高いパーツだったこともあり、流麗なスタイリングへ見事に溶け込ませている。

 ASLでは当時、年間100台規模での量産を計画。650万円という予定価格は、当時のライトウェイトスポーツ界隈で絶大な人気を誇っていたロータス・エリーゼが449〜548万円だったことを踏まえてもかなり高価だったが、日本の新たなブランドによる意欲的なピュアスポーツとしても、エキゾチックなスタイリングの小さなドリームカーとしても大きな話題となった。

 2003年にはARTAによりSUPER GTへの参戦を開始し、注目度はさらにアップ。レースカーはシルビア用のターボユニットであるSR20DET型、翌年にはフェアレディZ用のVQ35DE型を積み、大手メーカー製のマシンと熱いバトルを繰り広げた。市販モデルへの期待もますます高まったが、ごく少数が生産されたのみで残念ながら2005年に発売中止が決定。レース活動も、この年限りで一旦終了する。

 しかし、ARTA10周年となった2007年、鈴木亜久里総監督の強い後押しを受けて復活。レギュレーションの関係でラストイヤーとなった2012年まで、サーキットを大いに盛り上げた。それ以降、表舞台に姿を表すことはほとんどなかったが、オートバックス誕生50周年となる2024年には、ガライヤEVの試作車を製作。オートバックスが描く未来の象徴として東京オートサロンと大阪オートメッセで展示された。


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