日本のモータースポーツの黎明期に活躍した式場壮吉氏が逝去

「ポルシェ904の式場vs.スカイラインGTの生沢」の死闘で有名に

 1964年の5月に鈴鹿サーキットで行われた第二回日本グランプリGT-Ⅱクラスにプライベーターとしてポルシェ904で参戦したのが式場壮吉氏だ。プリンス(のちの日産)が満を持して送り込んできた生沢徹が乗るスカイラインGT-Bと死闘を繰り広げたことで、いまだに語り継がれる名勝負の主人公だった。そのポルシェ904を駆って優勝した式場壮吉氏が、77歳で亡くなった。WEB CARTOP

 式場壮吉氏は、1939年2月生まれで成城大学経済学部を卒業。成城大学の自動車部の後輩には、モータージャーナリストとして活躍した徳大寺有恒(2014年没:本名は杉江博愛)がいる。

WEB CARTOP※写真は故徳大寺有恒氏

 式場氏は1963年の第一回日本グランプリにはトヨタのワークスドライバーとして参戦。コロナに乗り見事クラス優勝を果たしている。1965年にはレーシングドライバーをすでに引退。

 その後は、若者文化を引っ張るようなレーシングメイト(自動車関連グッズ)を立ち上げ、VANジャケットとのダブルネームで一世を風靡した。またベースボールマガジン社から発刊した「カーマガジン」を立ち上げるなどしたが、レーシングメイトが倒産に追い込まれ、カーマガジン誌も休刊になるなどしたため、その後は父が経営していた式場病院の跡を継いで理事長の職に就いた。WEB CARTOPのちに奥さんとなったのは、当時台湾出身の人気歌手だった欧陽菲菲(おーやんふぃふぃ)さん。日本のモータースポーツの黎明期を支えたドライバーがまた一人、この世を去ってしまった。故人のご冥福を心よりお祈りします。

 (レース写真:日産ニュースルームより)


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