90年代に世界を席巻したラリーマシン達(パルサー・インプレッサ・ランエボ・カローラ) (2/2ページ)

最後までGr.Aを選択した三菱と最後に戴冠したカローラ

1997 Mitsubishi Lancer Evolution Ⅳ
不利なグループA規定のまま年次改良を続けて遂に王座に

 早い段階から海外ラリーに参戦してきた三菱はコルト・ギャラン、ランサー、ランサー・ターボ、スタリオン、ギャランVR-4と主戦マシンを入れ替えながら、本格的な活動へと駒を進めてきた。しかし93年からは主戦マシンをランサー・エボリューションに絞り、エボリューションⅠからⅡ、Ⅲと進化を続けて行った。その一方で市販モデルの進化にもリンク。

1998_Mitsubishi Lancer Evolution ㈸_25595年にベースモデルのランサーがフルモデルチェンジ、5代目に移行したのを受け、96年にはランサー・エボリューションも5代目ランサーをベースにした第2世代のエボリューションⅣに進化している。この当時、ほかのワークスマシンは総て、改造範囲の広いWRカーへとコンバートされていたが、三菱は最後までGr.Aで戦うことを選択した。1997_Mitsubishi Lancer Evolution ㈿_23197年の開幕戦から98年シーズンの中盤まで、エボリューションⅣで参戦し、98年のポルトガルからエボリューションⅤを投入した。結果、トミ・マキネンが96年からのドライバーズタイトルを3連覇にまで伸ばすとともに、98年のメイクスタイトルをも手に入れることになった。
(透視図は97年のエボリューションⅣで走りは98年オーストラリアでのマキネン/三菱自動車広報部提供)

1999 Toyota Corolla WRC Type SE110 WRC
心機一転、WRカーでシリーズ復帰、有終の美を飾ったTTEの主戦マシン

 90年代前半に4度のドライバータイトルを2度のメイクスタイトルを手中に収めるなど、WRCでの栄光をほしいままにしていたトヨタだったが、95年のカタルニアで車両規定違反が発覚、同シーズンのポイントはく奪とともに、TTEは翌96年の出場停止、と重いペナルティを課せられてしまった。1999_Toyota Corolla WRC Type SE110 WRC_IMG_9672これに対してトヨタは96年のワークス活動休止を発表、TTEも2年間の活動休止を発表した。重い空気が漂ったが、2年の歳月を経て98年のフィンランドでトヨタとTTEはWRC復帰を果たした。

 この時のウェポンがカローラWRC。セリカで得たノウハウを各所に盛り込み、またウィークポイントをひとつひとつ潰して開発されたカローラWRCは、デビュー戦となったフィンランドでは、残念ながらリタイヤに終わったもののマーカス・グロンホルムが3つのSSでトップタイムを刻むなど、ポテンシャルが高いことをアピールしていた。1999_Toyota Corolla WRC Type SE110 WRC_IMG_9760そして98年は開幕のモンテカルロでカルロス・サインツが勝ち、カローラWRCのWRC初優勝を飾るとともに反撃開始の号砲を鳴らすことになった。ただしこのシーズンはポイントをリードしながら臨んだ最終戦でトラブルからリタイア、手を掛けていたタイトルを取りこぼしてしまう。

翌99年、F1参戦のためにWRCはこのシーズン限りとなったが、その最後の最後でカローラWRCはメイクスタイトルを手に入れることになる。最終戦を待たず、その前戦、オーストラリアでサインツが2位に入り有終の美を飾ることになったのだ。
(トヨタ・ガズー・レーシング・フェスティバルで撮影)

 (文:原田 了)


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