【70年代のF1マシン】黄金期を迎える前のウイリアムズ (2/3ページ)

コンストラクターとして初めて表彰台を奪った出世作

1975 Williams FW04・Ford-Cosworth DFV

 コンストラクターとして地力をつけてきた1975年に、フランク・ウイリアムズ・レーシング・カーズがF1GPに投入したモデルがFW04。前年に使用したFW01~03は同型モデルだったから、FW04はいわばFWの第二世代。

1975_williams-fw04

 とはいうものの、マクラーレンから移籍してきたレイ・ストコーが手掛けたFW04は、モノコックがよりコンパクトなものに一新されたほかは、FWの技術トレンドを引き継いでいた。スペインGPでデビューしたFW04は、当初は気難しい性格でチームの手を焼かせていたが、次第に熟成が進んでくる。

 そしてメルツァリオが去り、エースに昇格したジャック・ラフィーがドイツで2位表彰台を奪うことになる。チームとしてはブラバムを走らせていた69年にピアス・カレッジが2度表彰台を手に入れているが、それ以来。コンストラクターとしては初の栄誉を手に入れることになったのだ。1975_williams-fw04

 ピットロードでストップした#21号車は、同年のイギリスGP。ラフィーがギアボックストラブルでリタイヤしたところ。コーナリング中の#20は、同年のイギリスGPには不参加だったから、同年のドイツGP。決勝DNSとなったイアン・アシュレイの予選日の走り、と思われるが正確なところは不明。

ウォルター・ウルフがスポンサードしてヘスケスの308Cを購入

1976 Wolf-Williams FW05・Ford Cosworth DFV FSW76-29

 ラフィーの2位入賞で面目を施したウイリアムズだったが、カナダの富豪、ウォルター・ウルフのスポンサードを得た1976年シーズンは、前年に初優勝を飾るとともにジェームス・ハントがシリーズ4位、コンストラクターズカップでも4位につけたヘスケスの308Cを購入、ウイリアムズFW05と命名してシーズンに臨んでいる。1976_wolf-williams-fw05

76年のヘスケスは、活動は依然続いていたがヘスケス卿のモチベーションが一気に低下したこともあって、ウルフ・ウイリアムズはマシンの308Cを購入しただけでなくデザイナーのハーベイ・ポスルスウェイトらも迎え入れていた。

そしてスポーツカーノーズの先に1枚ウイングをマウントした特徴的だったフロント部分を手直ししていたが、不振を極めてノーポイントのままシーズンを終えている。#21はナンバー2のハンス・ビンダー。76年に富士スピードウェイで開催されたF1世界選手権inジャパンにて(富士スピードウェイ・広報部提供)。


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