【70年代のF1マシン】黄金期を迎える前のウイリアムズ (3/3ページ)

ウイリアムズと袂を分かったウルフのニューマシンが活躍

1977 Wolf WR1/WR3・Ford-Cosworth DFV

 タフなシーズンを終えた76年のシーズンオフに、フランク・ウイリアムズとウォルター・ウルフは袂を分かつことになる。さまざまな事象が要因として挙げられたが、要するに主導権争いの末にウルフが全権を掌握。負けた格好でウイリアムズはチームを去ることになったのだ。

1977_wolf-wr1

 デザイナーのハーベイ・ポスルスウェイトはチームに残り、77年シーズン用マシンの制作に取り掛かった。そして誕生したのがウルフWR1。ウイリアムズのヒストリーとしては直接的な関係がないマシンだが、歴史の枝葉として重要な意味をもつために、ここで紹介しておこう。

 チームに残ったハーベイ・ポスルスウェイトが手掛けただけに、彼の出世作となったヘスケス308の技術トレンドを引き継いだマシンだ。発表されたときにはスポーツカーノーズ+1枚ウィングというポスルスウェイトのトレードマークも健在だった。だが実戦デビューを果たしたときにはコンベンショナルなウイングノーズにコンバートされていた。1977_wolf-wr3

 このコンサバな手法が功を奏したか、新加入のエース、ジョディ・シェクターが3勝を挙げてランキング2位、1カーエントリーだったにもかかわらずコンストラクターズカップでもランキング4位につけることになった。

イギリスはハンプシャーにあるビューリー国立自動車博物館にて撮影したWR1と、76年のF1世界選手権inジャパンで走行中のWR3(富士スピードウェイ・広報部提供)は、スペック的にはまったくの同型車だ。

パトリック・ヘッドとともにのちの有名デザイナーが多数在籍

1983 Williams FW08C・Ford Cosworth DFV

 ウルフを去ったフランク・ウイリアムズは、パトリック・ヘッドとともに新チーム、ウイリアムズ・グランプリ・エンジニアリングを設立。初年度となる1977年シーズンはマーチ761を購入して参戦、翌77年シーズンに向けてヘッドがニューマシンを設計することになった。

1983_williams-fw08当時のウイリアムズには、ロス・ブラウンやニール・オートレイ、フランク・ダーニーなど、のちにF1GPで名技術者として名を馳せることになる若き英才たちが多く在籍しており、ヘッドの指揮のもと彼らが腕を振るった最初の“作品”がFW06だった。

 さらに78年にはウイングカー理論を盛り込んだFW07を登場させ、引き続き80年にはアップデートしたFW07Bを投入。アラン・ジョーンズがワールドチャンピオンに輝くとともにコンストラクターズカップでも王座に就きダブルタイトルを獲得している。

 FW07Cを投入した81年は、ドライバーズタイトルこそ逃したもののコンストラクターズカップを連覇。反対にFW08を投入した82年には、コンストラクターズカップの3連覇こそ逃したものの、ケケ・ロズベルクがワールドチャンピオンを獲得。1983_williams-fw08c

3年間にドライバーズタイトルとコンストラクターズカップを2度ずつ獲得し、紛れもないトップチームの仲間入りを果たすとともに、DFVユーザーとしても最後の栄光を記すことになった。

 栄光は80年代に入ってからだが、その根源は間違いなく77年。ウイリアムズがヘッドとともに立ち上げたチームの初作、FW06だった。

写真はともに83年式のFW08Cでカウルを被った個体はドニントンのGPコレクションで撮影。一方カウルを取り払ってストリップ状態の個体はフェスティバル・オブ・スピードで撮影。


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