シビック復活記念! 初代から10代目まで歴代全モデルを振り返る (2/3ページ)

タイプRはあるがシビックからスポーティモデルのイメージは消えた

 2000年に登場した7代目は、ハッチバックとセダン(フェリオ)のバリエーションは変わりがないが、ハッチバックは5ドアのみで、従来のワイド&ローのスタイルからトールワゴンに近いモデルへと大変貌。当時の欧州ハッチバックのトレンドに合わせたのだろう。

フラットフロアな高効率パッケージングにより広大な室内空間が特徴。一方、セダンはキープコンセプトながらハイブリッドモデルが追加されたが、その一方でスポーツグレードは姿を消し、スポーティイメージは消えたが、2001年にタイプRが登場。

タイプRは欧州モデルのみに設定される3ドアボディをベースに開発、イギリスで生産し日本に輸入された。パワートレインは2リッターDOHC i-VTECK20A」+6MTの組み合わせ。サスペンションはサーキットベストながら欧州テイストが盛り込まれ、ステージによっては兄貴分のインテグラ・タイプRよりもパフォーマンスが高かった。

 2005年に登場した8代目は、「仕向け地のニーズに合わせ最適なモデルを開発する」という考え方から、北米向けはセダンとクーペ、欧州向けはハッチバックのみの設定で、これらは同じシビックを名乗りながらもプラットフォームは別物。

北米向けは7代目のキャリーオーバー、欧州向けはフィット譲りのセンタータンクレイアウトを採用。日本仕様は「ハッチバックはフィットで賄える」と言う判断からセダンのみの設定と言う戦略に出た。ユーザーからは魅力的なデザインを持つハッチバックを、日本に導入してほしいというラブコールも出たが、ホンダは首を縦に振らず……。シビックのブランドバリューは一気に下がる。

2007年にタイプRが登場。重く、大きくなったセダンボディながらも、限界までチューニングされたK20Aエンジンに車体/サスペンションの徹底チューニングによりサーキットでのパフォーマンスは大きくレベルアップ。しかし、サーキットベストのハードなセットアップは街乗り領域では苦行であった。

セダン一本の路線は完全に失敗で販売は低迷、ホンダは2010年にシビックの国内販売終了を発表した。日本からシビックの名が消えることにガッカリしたファンも多かったが、それと同時に、欧州向け3ドアをベースにしうた欧州タイプRこと「タイプRユーロ」が限定販売。同じサーキットベストながら欧州の路面で鍛えたしなやかさがウリで初回に導入された2010台は完売。しかしそれを受けて1500台を追加販売すると在庫過多となってしまったと言う。

北米向けは2011年、欧州向けは2012年に9代目が登場。日本向けは通常モデルは設定されなかったが、2015年に登場したタイプRは日本向けも限定ながら設定された。しかし、タイプRの反省からか750台と僅か。転売目的の人も多く、本当に欲しい人が手を入れられなかったなど反省点も残した。


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