窓落ちや料金所で止まれないのも当たり前! 今では考えられない昭和のクルマの珍事件

走行中にマフラーが脱落することも!

 いま70歳代のセンパイの皆さんはドライブに行く際、「弁当箱は忘れても、工具箱は忘れるな」が合言葉だったそうだ。つまり、それだけ昔のクルマは信頼性が低かったわけだ。いまの国産車では考えられない話だが、じつは昭和末期まで笑えるトラブル、笑えない衝撃的なトラブルが身の回りでけっこう頻繁に起きていた。昭和のクルマのトラブル

 たとえばマフラーが錆びて穴が開くケース。純正のスチールマフラーは熱の影響で錆びやすく、メインパイプやサイレンサーの溶接部によく穴が開いたものだ。エキゾーストに穴が開けば、排気漏れを起こしてうるさくなるし、当然車検には通らない。穴が小さいうちは、ホルツのマフラー用の耐熱パテとフレキシーラップのお世話になって、DIYで補修する人も多かった。しかし、なかには錆を放置して走行中にマフラーを落っことしてしまったというツワモノも……。

 錆といえば、昭和の国産車はボディもとても錆びやすかった。フェンダーの端、ドアの下部、ボンネットの先端などが錆びやすく、メンテや洗車をしているときに指で押したら、ボコッと穴が開いてしまった例も多数ある。4代目カローラぐらいまでは錆びやすく、AE86の先代TE71レビンなど、ボンネットがサビサビになると、解体屋でよりましなものを買ってきて、2~3枚交換したという走り屋もいた。

 錆以外では、窓もトラブルになるケースが多い個所。ウインドウレギュレーターが壊れて、窓の開閉ができなくなったり、窓がストンと落ちたまま、上がってこなくなってしまったりする「窓落ち」も珍しくなかった。また、80年代後半のリッタークラスでは、高速道路を走っていると負圧で窓が外側に引っ張り出され、隙間ができてしまう車種もいくつかあった。立てつけも悪かったのかもしれないが、ボディ剛性の影響も大きく、当時のボディ剛性のレベルは推して知るべしといったところ。 

 あとはブレーキ。昭和末期になるとターボパワーで200馬力を超えるモデルも出てきたが、その頃のクルマはブレーキがプア。高速道路で調子に乗って飛ばしていて、料金所の手前でドーンとブレーキを踏んだら(当時はETCなどなかった)、たった一度のブレーキでフェード現象が発生! オーバーランギリギリで止まってホッとしていると、料金所の係員に「フロントから煙が出ている。オーバーヒートじゃないの?」と心配される始末……。

 もちろん冷却系自体も弱かったので、60歳以上の人は、夏になればお約束のようにオーバーヒートも経験していたし、パンクも多かったので、タイヤ交換ができないというドライバーは少なかった。電気系も脆弱で、スターターのマグネットスイッチのご機嫌が斜めになり、わずかな傾斜を利用して“押しがけ”(MT車のみ)したのもいい思い出といえる。

 昭和のクルマも新車ならトラブルは多くはなかったが、当時の若者はくたびれた中古車に乗っている人がほとんどだったので、トラブルに見舞われる可能性が多かっただけともいえるが、平成になったのを境に、クルマのトラブルがガクンと減ったのは、何とも不思議。

 次の年号のクルマのスタンダードはどうなっていくのかが、いまからちょっと気になっている。


藤田竜太 FUJITA RYUTA

モータリングライター

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日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)
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