最高峰の2台「レクサスLS」と「トヨタ・センチュリー」は何が違う? 歴史から考える (1/3ページ)

和のテイストを前面に押し出した初代トヨタ・センチュリー

 2018年の新車トピックスのひとつといえば、センチュリーのフルモデルチェンジがあるだろう。しかし、「先代のものとなるものの、現行センチュリーはレクサスLSのプラットフォームをベースに開発されているので、この2車の立ち位置が被るのではないか?」と考えるひとも多いはず。

 初代センチュリーは1967年9月25日に発表され、11月上旬に発売となっている。

 トヨタでは、1964年4月に2代目クラウンをベースとした専用ボディに日本車としては初となるアルミ合金製の2600㏄・V8エンジンを搭載した3ナンバーワイドボディとなる“クラウン・エイト”を発売しており、センチュリーはこのクラウン・エイトに代わるモデルとして登場しているのである。

  

 クラウン・エイトがデビューした当時は、ライバルの日産セドリックやプリンス・グロリアなどにも、2000㏄オーバーのエンジンを搭載したモデル(セドリック・スペシャルやグランド・グロリア)をラインアップしていた。

 このように大排気量エンジン搭載が顕著となってきた背景には、1965年10月1日から完成乗用車の輸入自由化が行われたことがある。それまでは、価格が高く手が出しにくかった、いまのドイツ車並みに人気の高かったアメリカ車を中心とした輸入乗用車も、自由化により買い求めやすくなるので、日系メーカーとしても輸入車(とくにアメリカ車)に対抗しうるモデルのラインアップが行われたようである。

 日産はクラウン・エイトデビュー後、1965年11月に初代プレジデントを発売した。クラウン・エイトと同じV8エンジンを搭載し、クラウン・エイトを超えるアメリカ車並みのビッグサイズボディを採用。内外装のデザインは当時のアメリカ車でトレンドとなっていた直線基調のものが採用されていた。

 センチュリーとプレジデントは長きにわたりライバル同士とされていたが、欧米、とくにアメリカのトレンドを採り入れていたプレジデントに対し、センチュリーは徹底的に“和”のテイストを盛り込むことを最優先していた。つまり伝統的な日本の美意識に基づいた、日本車らしい大型セダンを目指したのである。

 初代は途中大規模なマイナーチェンジを行いながら、30年間フルモデルチェンジを行わずに、1997年に2代目が登場するのだが、2代目でもその志は継承された。エクステリアは初代をイメージするキープコンセプトデザインを採用。デビュー当時のリリースには、“気品、風格に代表される伝統美の継承と深化”、“匠の技に裏付けされた工芸的手法や吟味された素材の採用”などというフレーズが目立っていた。

 搭載されていた“手組み”によるV12エンジンは他車に搭載されることなく、センチュリー専用ユニットとなっていたが、都市伝説のように“地雷を踏んでも半分の6気筒で走ることが可能”という話は有名で、VIPが多く乗るモデルとしてのセキュリティレベルの高さもカーマニアの間では語り継がれていた。

 現行モデルも初代や2代目の流れを受け継ぎ、伝都的な“和”のテイストを意識したクルマ作りが行われている。


小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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