敏腕経営者が死去! かつての勢いを失ったクライスラーに足りないものとは (2/3ページ)

歴代カローラを乗り継ぐも初めての浮気はクライスラーだった

 1989年に21歳になった筆者。アメリカではクレジットカードを使えば21歳からレンタカーの運転ができた。さっそく貯金していたバイト代をはたいて、大学の春休みを利用して約2カ月間アメリカ旅行に出かけ、アメリカ各都市を訪れ、そのなかで念願だったロサンゼルス地域でレンタカーを運転してあちこちを巡った。

 そのときに初めてステアリングを握ったアメリカ車が、いわゆる“Kカー(FF小型車用Kプラットフォームを採用するモデル)”の1台となる、車体色がブルーのプリムス・リライアントであった。当時は世界的に日本車が絶賛される一方で、アメリカ車の評判はボロボロであった。そこで“本当にボロボロなのか”という興味本位もあって運転することにした。

 当時のアメリカ車定番の“ベンチシート&コラムシフト”というだけでも日本車とはイメージがかなり異なるのだが、見た目はサポート性が劣るように見えるシート形状であっても、実際座ってみるとそのホールド性の良さなどその出来に驚かされた。

 搭載エンジンはV型ではなく2.2リッター直4エンジンであったが、アメリカ車らしいトルクの太い印象の乗り味にすっかり魅了され、以降アメリカ車にどっぷりハマることとなった。燃費性能や見た目質感では日本車の優位性は高いように見えたが、アメリカ車もクルマ本来の基本性能は高く、アメリカ車の歴史の深さというものを、Kカーという直4搭載のFF小型車でも十分感じることができた。

 1994年に“日本車キラー”として、初代クライスラー・ネオンがワールドデビューする。そして1996年に日本市場でも右ハンドルのセダン(本国では2ドアクーペもあった)の正規輸入販売が開始された。当時日本で輸入販売されていたアメリカ車は、排気量が小さいといっても、3リッターV6ぐらいだし、とにかく日本ではボディサイズが大きいために持て余すので、興味はあったが、所有対象と見ることができなかった。

 しかし、ネオンは2リッター直4エンジンということもあるし、サイズが手ごろ。ずっと乗り続けてきたカローラセダンも、当時はコストを優先した8代目で、代替えして乗りたいという所有意欲がそれほど湧かなかったので、カローラの担当セールスマンに「申し訳ないけど浮気させてくれ」といって、ネオンの購入に踏み切った。

 ただし狙うのは北米生産となる初期ロット車両。セカンドロットからはオーストリアで右ハンドル車が生産されるとのことだったので、欧州製のアメリカ車には興味がないため、なんとか奔走して、ソリッドレッドで無塗装バンパーとなる最廉価グレードのSEを購入した。


小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

-

愛車
2019年式トヨタ・カローラ セダン S
趣味
乗りバス(路線バスに乗って小旅行すること)
好きな有名人
渡 哲也(団長)、石原裕次郎(課長) ※故人となりますがいまも大ファンです(西部警察の聖地巡りもひとりで楽しんでおります)

新着情報