勝手に賞賛! 20世紀に誕生した世界に誇れる偉大すぎる日本車5選+α (1/2ページ)

中古市場で「億」を超える取引額の名車も

 かつて新世紀という言葉が近未来を示す時代があった。いまや21世紀であることが当たり前であり、なおかつ次の22世紀というのは未来といっても自分たちが生きているとは思えず、リアルな未来としては感じられないかもしれない。なにしろ22世紀といえばドラえもんが闊歩している時代なはずだから……。

 それはさておき、20世紀は自動車の世紀でもあった。アメリカでT型フォードがベルトコンベアの利用による大量生産の仕組みを作り上げたのが1913年。そこから自動車はどんどんと大衆の生活に欠かせない工業製品となっていったのだ。日本での自動車生産が本格化するのは第二次世界大戦後といえるが、それから2000年までの約半世紀の間に、国産車は大いなる進化を遂げた。そして、多くの名車が生まれた。ここでは20世紀に誕生した国産車という条件で、独断と偏見により偉大なるモデルをピックアップ。記憶に残しておきたい5台を厳選して紹介しよう。

1)トヨタ2000GT(1967年)

 言わずと知れた国産スーパースポーツの代表格。トヨタとヤマハ発動機の共同開発により生まれた流麗なボディと、直列6気筒DOHCエンジンのパフォーマンスは国産車のクルマづくりをワンランクもツーランクも引き上げた。

 のちに映画「007」においてボンドカーとして採用(プロトタイプのオープン仕様)されたことは、日本車がボンドカーに選ばれるレベルに達したという点でも、エポックメーキングであった。

 いまやオークションでは億を超える価格で取引されていることもあるが、それだけの価値を持つクラシックカーとなったのも国産車ではトヨタ2000GTが初めてといえる。

 それにしても、これほど美しいボディながら全幅がわずか1600mmというのは驚かされる。衝突安全基準などが異なるので21世紀のクルマと比較するのはアンフェアだが、いわゆる5ナンバーのボディサイズであっても、これほどのスタイルが実現できるというのはあらためて驚かされる。

2)マツダ・サバンナRX-7(1978年)

 マツダの重要なヘリテージであり、アイデンティティといえばロータリーエンジン(RE)。そのREを最初に積んだのはコスモスポーツだが、20世紀にマツダのスポーツイメージを強めたのは3代にわたって進化したRE専用スポーツカー「RX-7」の存在が欠かせないといえる。

 とくに初代RX-7となるサバンナRX-7(SA22C型)は、コンパクトなエンジンであることを活かしたプロポーションに、リトラクタブルヘッドライトを与えたことで、手の届くスーパーカーとして認識された。北米市場ではそのルックスから「プアマンズ・ポルシェ」と呼ばれたというが、マツダならではのREが奏でるサウンドや、そのフィーリングを味わってしまえば、唯一無二のスポーツカーであると認識されたことだろう。

 この初代モデルの成功が、2代目(FC3S)、3代目(FD3S)へとつながった。いまでもマツダにRE搭載モデルを復活するよう願う声は根強いが、そうしたファンのルーツはおそらくRX-7にあるはずで、マツダ=REというイメージを確立した立役者がRX-7といえるだろう。

3)トヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノ(AE86型・1983年)

 クルマが運転の楽しさを教えてくれる、そうした認識を生み出し、また多くのドライバーを育てたクルマがトヨタ・カローラレビン/スプリンタートレノだ。年代によってはユーノス・ロードスター(マツダ・1989年)によってドライビングを鍛えられたという人もいるだろうが、日本にドリフトという文化を育て、ドリフトが世界に羽ばたくきっかけになったのは間違いなくAE86レビン/トレノといえる。

 もちろん、そこにはクルマとしての機能性だけでなく『頭文字D』というコミックによって神格化された部分も大きく、だからこそ21世紀になってから「86」という名前のスポーツカーが生み出されたのだ。実際、クルマとしてはリヤのトラクションは抜けやすく(だからドリフトせざるを得なかった?)、またDOHCエンジンもサウンドこそ勇ましいが圧倒的にパワーがあったわけではなかった。

 しかし、そのパッケージの妙は伝説となるにふさわしい奇跡的なバランスを実現していた。日本の自動車文化を振り返ったときにAE86は欠かせない存在だ。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

愛車
スズキ・エブリイバン(DA17V・4型)/ホンダCBR1000RR-R FIREBLADE SP(SC82)
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モトブログを作ること
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