セダンもSUVも「差がない」のっぺりデザインばかり! いまのクルマから利点も多かった「箱感」が失われたワケ (2/2ページ)

程よい速さがあれば十分ならクルマの姿はもっと自由になる

 より速く、より遠くへ、という人間の欲求をクルマで満たしながら、同時に環境負荷を下げようとすると、パワーユニットの低燃費化だけでなく、空気抵抗の少ない外観が求められるようになる。それが、クルマから箱感覚が薄れた原因ではないか。

 一方、より速く、をあまり重視しないクロスカントリー系の4輪駆動車は、今日なお四角い車体だ。それは、悪路や未開の地を走行する際の車両感覚のつかみやすさや、周囲の確認しやすさにつながる。そうした場面では、樹木や岩に車体を接触させる可能性が高く、一歩道を誤れば崖から転落してしまうかもしれない、命に関わる問題になる。したがって、速く走るために空気抵抗を減らすより、周囲の状況を的確に把握しやすい形でなければならないのである。

 4ドアセダンも、ハッチバックも、本来は自分の目で周囲の安全を確認できる箱型の形が運転者にも安心を与える姿であろう。しかし、より速く、より遠くへ、という目的が優先されれば、クーペのような姿にならざるを得ない。

 しかし実際には、多くの人が利用しないような超高速の性能を持たせる必要が本当にあるのかという疑問もある。スウェーデンのボルボは、交通事故死者ゼロを実現するため、世界で販売する新車の最高速度を時速180kmまでとすると宣言した。それは、ドイツのアウトバーンも視野に入れたうえでの決断だ。

 そのように、むやみな高速走行を目指さない、程よい速さがあれば十分だと考えれば、クルマの姿はもっと自由になるのではないだろうか。そのほうがクルマ選びの楽しさも広がるかもしれない。実際、旧車時代のクルマは、一目でわかる個性があり、選ぶ喜びもあったのではないか。

 じつは、21世紀は、環境負荷への対応も含め、程よい幸福を求めた暮らしが奔流となる時代ではないだろうか。闇雲に、より速く、より遠くへ、という価値だけを追い求めていくと、画一的になり、暮らしの豊かさが減っていくような気がする。


御堀直嗣 MIHORI NAOTSUGU

フリーランスライター/2023-2024日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

愛車
日産サクラ
趣味
乗馬、読書
好きな有名人
池波正太郎、山本周五郎、柳家小三治

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