「アルミボディ」に「ハイブリッド」! 歴史に残る技術開発者から経営者になった「凄すぎるクルマ好き」5選 (2/2ページ)

エンジニアでなければ社長になれないと言われるメーカーも存在!

3)ホンダ 伊東孝紳氏

 エンジニアでなければ社長になれないといわれているのが本田技研工業。創業者の本田宗一郎氏しかり、その後の歴代社長もF1やGPなどレースシーンで鍛えられてきた人ばかりだった。そんなホンダで、おそらく初めて量産車の開発リーダーを経験していた社長といえるのが先代社長の伊東孝紳氏だ。伊東氏がLPL(開発リーダー)を務めたのが1993年に生まれたアスコット/ラファーガの兄弟車。

 どんなクルマだったのか忘れてしまったという人も多いかもしれないが、2.0リッター/2.5リッターの直列5気筒エンジンを縦置きにしたFWD車といえば、どれほどメカニズムファーストで開発されたモデルか理解できるのではないだろうか。また、伊東氏といえばオールアルミのNSXのボディ開発の中心的な役割を果たした人物としても知られている。ちなみに、現在の社長である八郷隆弘氏も2001年にフルモデルチェンジした2代目CR-VのLPLを務めるなど市販車の開発で活躍した経験を持っている。

4)マツダ 山本健一氏

 エンジニア出身の社長として日本の自動車史上に残る人物といえば、マツダの山本健一氏をおいてほかにないだろう。エンジニアとしてR360クーペなどのボディ設計をしたことも知られているが、なによりロータリーエンジン開発部長をつとめ、ロータリーエンジンの量産を実現するという難しいプロジェクトを率いたことから「ロータリーエンジンの父」と呼ばれているほど、歴史に残る自動車エンジニアだ。

 そして、マツダ初のロータリーエンジン搭載車である「コスモスポーツ」の設計統括をつとめるなど、マツダというブランドを高める重要な役割も果たしている。そうしたリーダーシップと功績により、同社の社長・会長・相談役最高顧問などを歴任した。

5)トヨタ 内山田竹志氏

 最後に紹介するのはトヨタ自動車の内山田竹志氏。内山田氏の功績として知られているのが初代プリウスのCE(チーフエンジニア=開発責任者)をつとめたことで、その実績から「ハイブリッドの父」と呼ばれることもある。もともとは実験部出身で、じつはプリウスに関わる以前は車両開発の経験はなかったという内山田氏だが、そのたぐいまれなるリーダーシップと古い考えに捉われない斬新な視点が、世界初といえるシリーズ・パラレル式の量産ハイブリッドを実現したといわれている。そうした実績から、現在はトヨタ自動車の取締役会長を務めるなど、日本を代表するエンジニア出身の経営者として知られている。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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スズキ・エブリイバン(DA17V・4型)/ホンダCBR1000RR-R FIREBLADE SP(SC82)
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