日・米・欧がクルマの頂点と思っているのは日本人だけ? 世界で評判「ダダ上がり」の韓国車の脅威! (2/2ページ)

1990年代から2000年代に大きな飛躍を見せた

 韓国車の歴史を少し振り返ってみると、大きな変化点は90年代後半だったように思う。

 筆者が韓国車をよく乗るようになったのは、アメリカで90年代中ごろからだった。ハーツやエイビスなどレンタカーを借りると、ヒュンダイやキアのモデルがよくあった。また、アメリカ国内で開催される自動車メーカー各社合同の報道陣向け試乗会でも、韓国車に乗る機会があった。そうしたなかで感じたのは、日本車と比べて、走りも車内外の質感もまだまだ改良の余地ありというものだった。

 それが2000年代に入ると、新型モデルが出るたびに、すべてにおける質感がどんどん上がっていったことに正直驚いたことを思い出す。

 当時、ヒュンダイグループの北米デザインセンターには、欧米のトップデザイナーが引き抜かれ、またヒュンダイグループ傘下の大手部品メーカーの開発目標も上がるなど、欧米や日系メーカーに追いつけ・追い越せという強い推進力を感じた。

 2010年代になると、世界的なSUVシフトのトレンドもあり、ヒュンダイ・キアの両ブランドに加えて、プレミアムブランドとして分離したジェネシスの販売も伸びていった。

 こうして、韓国車の中核であるヒュンダイグループのモデル拡充と技術革新により、アメリカ、欧州、インドなど、世界各地で韓国車は、日本車とライバル的な存在として認知されているのが実情だ。

 2010年代後半、韓国経済の低迷により、ヒュンダイグループを含めた韓国自動車産業が苦しい局面を迎えた時期もあったが、2020年代となってからは世界的な電動化シフトを受けて、リチウムイオン電池などの生産で中国と並び世界でのシェアが高い韓国が、電動車でのシェア拡大を目指している。


桃田健史 MOMOTA KENJI

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