ランエボ復活の可能性もあり! 三菱が蘇らせる「ラリーアート」とは (2/3ページ)

リコール隠しがラリアートの活動に大きく影響した

 そんなラリーアートが主たる活動を停止する要因として、2005年に故・益子修氏が三菱自動車の社長に就任したことが大きく影響しているとする意見は多い。たしかに益子氏にはモータースポーツ嫌いという側面はあったようだ。

 しかし、三菱商事出身の益子氏が三菱自動車の社長に就任したそもそもの背景には、長年のリコール隠しによる経営危機があったことは忘れてはならない。

 あらためて整理すれば、三菱自動車のリコール隠しというのは2段階で社会問題となった。まず2000年には23年間にわたるリコール情報の隠蔽工作が明らかとなった。これは、計69万台ものリコール情報が隠されていたことが匿名で通報されたことで表に出ることとなった。この段階で三菱自動車の信頼は地に堕ち、資本提携をしていたダイムラー(当時はダイムラークライスラー)から社長を迎え入れ、再建を図ることにする。

 ここで膿を出し切ることができていればまだよかったのだが、2004年には再びリコールを隠していたことが発覚する。ここに至り、ついに筆頭株主であるダイムラーから財政支援を打ち切られ、三菱自動車はまさに路頭に迷う状況に陥ることになる。そして三菱グループからの人材として三菱自動車の再建を託されたのが故・益子氏であった。

 リコール隠しが発覚する以前は、国内市場では4位のポジションにつけていた三菱自動車のブランド力は完全に失われた。社会人野球など三菱自動車の企業スポーツ活動も休止に追い込まれるほどで、モータースポーツへの参戦を続けることも批判的な声があった。さらに、かつては最強といわれた三菱自動車のWRCマシンもレギュレーション変更を機に低迷していた。

  

 つまり2005年に益子社長就任をきっかけに突如モータースポーツ活動を中止したというより、背景として三菱自動車のモータースポーツが縮小したことは「仕方がない」というムードもあった。モータースポーツ活動の縮小・撤退とそれに伴うラリーアートの実質的な消滅は、メディアやファンも納得せざる得ない状況もであった。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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