アウディの車種名でA1からA8まであるのに「A2」だけがない! 欠番となっている理由とは (1/2ページ)

この記事をまとめると

■現在は欠番のA2だが過去には存在していた

■1999年に発売されたアウディA2はBセグメントMPVだったが2005年に生産終了

■2011年フランクフルト・モーターショーで「A2コンセプト」として一瞬だけ車名が復活

現在は欠番となっているが過去には存在した!

 アウディのセダン/ワゴン系モデルの車名は、A4、A6、A8と「A+偶数」となっている。だがコンパクトクラスを見ると、A3にスポーツバックとセダン(以前はカブリオレも)が用意され、その下はA1と、上級モデルではクーペやカブリオレの車名となっている「A+奇数」が与えられている。と、ここで「Q2はあるのに、A2はどこ?」と思う人がいても不思議はない。

「A2」という車名は、現在は欠番となっているが、過去には存在していた。本来なら「Cセグメントのセダン系モデル」に与えられるはずのA2という車名のモデルは、1996年に登場した初代A3よりコンパクトな、アウディ・ブランドのエントリーモデルとして、1999年秋にフランクフルト・モーターショーで発表され、同年11月にヨーロッパ市場で発売されている。つまり、「A2」はなぜか最初からBセグメントなのである。今回は、この「アウディA2」について振り返ってみよう。

 アウディA2がどんなモデルだったのかというと、全長3826mm、全幅1673mm、全高1553mm、ホイールベース2405mmとコンパクトな、BセグメントMPVである。今でこそスペース重視の背が高いクルマは珍しくないが、当時は日本の軽自動車を除くと、コンパクトカーは背が低いクルマばかりで、A2のような背の高いコンパクトMPVは、メルセデス・ベンツAクラスくらい。デザインも斬新で個性的だったが、当時の感覚ではスタイリッシュとは言えず、ヨーロッパ市場で好評を博したとは言えなかった。

 だがA2はとてもイノベーティブなモデルだった。1997年に京都議定書が採択され、世界がCO2排出量削減へ大きく舵を切った時代、日本メーカーはハイブリッド技術に望みを託したが、ドイツメーカーはディーゼルエンジンを選択。A2はそれを象徴したモデルだったのである。

「Vorsprung durch Technik(技術による先進)」というスローガンが示すとおり、テクノロジーオリエンテッドな企業文化を持つアウディが、A2で目指したのは「3リッターカー」だ。これは文字通り3リッターの燃料で100km/hの走行が可能なクルマのこと。アウディはA2でこれを実現しようとしたのである。


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