当時最強のF1チームだった「マクラーレン」が生んだ究極のロードカー! その名も「F1」とは (1/2ページ)

創始者の夢が現実となった「マクラーレンF1」

 1992年年5月12日、伝統のF1モナコGPで賑わうモナコの地に、のちに20世紀の最高傑作と評されることになる1台のスーパースポーツが発表された。「F1」というシンプルな車名を掲げたそれは、マクラーレン・カーズリミテッド社の手によって開発されたもので、それは創始者であるブルース・マクラーレンが生前描いていた夢、「自社ブランドを掲げた、究極のロードカーを作ること」を現実のものとしたものだった。

 ブルース・マクラーレンがこの世を去ってほぼ20年、F1プロジェクトをオーガナイズする立場として指名されたのは、GPマシンと同様にロン・デニス、ゴードン・マレー、そしてグレイトン・ブラウンの3名だった。ちなみにマクラーレンは、1992年のモナコGPにおいて、すでにF1の価格を発表している。その額はじつに53万ポンド。海の物とも山の物とも、そしてどれほどのパフォーマンスを発揮するのかさえ知らされるまま、この53万ポンドのスーパースポーツカーは1994年からデリバリーが開始されると約束されたのだ。

 1992年の12月末には、早くもプロトタイプの第一号車が完成した。基本構造体はカーボンモノコック(正確にはセミモノコックだが)。リヤミッドにはM社製の60度のバンク角を持つ6064cc仕様のV型12気筒自然吸気エンジンが搭載された。あるいはもっと早期に大排気量の自然吸気エンジンの搭載を考えたのならば、ホンダ製エンジンを選択した可能性も高かったという。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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突然思いついて出かける「乗り鉄」
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