女性カーライフ・ジャーナリストまるも亜希子さんの運命を決定づけたクルマとは!? 【みんなの愛車遍歴 Vol.1】 (2/2ページ)

フィアット124スパイダーに導かれて自動車業界へ!

 そしてコレが、私の人生を決定づける運命の愛車にもなったのです。就職活動で雑誌の編集者を目指し、出版社の試験を受けまくり、片っ端から落ちまくっていた私。そんな時にショップの人が、「イタ車に乗るならこの本読んでおかないと」と手渡してくれたのが、エンスー雑誌の『Tipo』でした。ふ〜んと思いつつパラパラをめくり、最後の編集後記のページを見ると、そこに「編集者募集」の小さな告知を見つけたのです。とりあえず応募してみるか、と書類を出したら、あれよあれよと最終面接まで進み、最後の社長面談で「フィアット124スパイダーに乗っている元気な女の子」という印象が強く残ったとのことで、見事、わずか採用2人という難関を突破したのでした。完全に、愛車に助けられた瞬間でした。

 124スパイダーはエンジンの調子はよく、まったくトラブルが出なかったのは超ラッキーでしたが、幌が経年変化で硬くなっていて、とくにビニールの窓の部分がもう白く濁っていたため、幌を閉めると後方がまったく見えなくなって危ないので、真冬でもなんでもずっとオープンで走るしかありませんでした。鼻水は出るし耳は凍りそうになるし、もう必死。夏もエアコンなんてなく、ちょっと乗るだけで汗ダクになるので着替えは必須。パワステなしの4速MTで、車庫入れなんて筋トレみたいな感じでしたね。それでも、1カ月のうち3日間くらいは、ものすごく気持ちよくて爽快なドライブができる。それだけで、普段の辛さなんて吹き飛ぶようなカーライフでした。

 そして124スパイダーが私に残したもう1つの影響は、2+2シーターが大好きになったこと。2シーターだと、荷物や上着をちょっと置いておくようなスペースがないけど、小さいながらも後席がちょこっとあるというだけで、こんなにも使い勝手がよくなり、気持ちにも余裕ができるんだと感じたのです。ただ、あまりに壮絶なオープンカーライフだったので、オープンカーを日常的に乗るのはいまだに苦手意識があります。

 なのでその後の私は、2+2シータークーペを愛するように。一時期、ダートラにハマって三菱の”エボ0”と呼ばれたランサーGSRや、ギャランVR4を乗り継いだあと、いつか乗ってみたいと思っていたフォード・マスタングのクーペを購入。V8は手が届かずV6でしたが、おおらかなアメ車との暮らしを満喫しました。そして、やっぱりいつかは乗ってみたかった、ポルシェ968に乗り換えます。このクルマはもう、箱根の山道が最高に楽しい、ベストハンドリングクーペでしたね。「ポルシェなのにエンジンが前にあるの?」なんてバカにされたこともありますが、いやいやこの楽しさは経験しておいて損はなかったと、今でも満足しています。

※写真は広報画像

 そして、2007年の東京モーターショーで再び運命の出逢いをしたのが、世界初の量産ハイブリッドスポーツカーだったホンダCR-Zです。コンセプトカーに一目惚れし、量産化したと同時に購入。もう大好きで大好きで、どこへ行くにも一緒がよくて、子供が生まれてからもしばらくは手放せずにそばに置いてあったのですが、さすがに乗る機会が減ってしまい、ポツンと駐車場に取り残されることが多くなったCR-Z。その姿を見るのが辛くて、ついに昨年、第二の人生に送り出したのでした。

 嬉しかったのは、10年前にまだ10歳だった甥っ子をCR-Zに乗せたらすごく気に入って、「僕、大きくなったらこれに乗るから、僕が免許取るまで持っててね」と言われたのです。そして18歳で無事に免許を取った甥っ子は、宣言通り、CR-Zに乗りにきました。長野の方までドライブしてきたと、「楽しかった〜!」と言って帰ってきた時は、もう感無量。CR-Zは立派に、次世代のクルマ好きを育てるアシストをしてくれたのかなと思っています。

 そんなわけで、現在は6歳になって口が達者になり、後席が狭いとかいろいろと文句を言うようになった娘も納得している、スバル・レヴォーグのSTI Sportで、先進の運転支援機能がついたスポーツワゴン生活を楽しんでいます。でも娘がもう少し大きくなったら、また2+2クーペに戻りたいかな。それか、クーペのようなクロスオーバーSUVも良さそう、などと妄想して過ごす日々です。


まるも亜希子 MARUMO AKIKO

カーライフ・ジャーナリスト/2023-2024日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

愛車
MINIクロスオーバー/スズキ・ジムニー
趣味
サプライズ、読書、ホームパーティ、神社仏閣めぐり
好きな有名人
松田聖子、原田マハ、チョコレートプラネット

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