世界を震撼させたニッポンの技術力に乾杯! 日本人が世界に誇っていい「エンジン」の超革新的技術たち (1/2ページ)

この記事をまとめると

■高性能であると認められている日本車には、そのエンジンにもスゴい技術が搭載されていた

■なかには日本のあるメーカーしか実現できなかったメカニズムもある

■日本メーカーが実現したエンジン技術は燃焼室内での混合気の燃焼状態に着目したメカニズムだった

日本のメーカーのみが実用化したスゴいエンジンメカニズム

 日常生活に必要不可欠な道具、自動車が初めて誕生したのは1885年のことだった。よく知られるカール・ベンツのガソリン3輪車で、これがガソリンエンジンを使う自動車の起源となっている(人工機関=蒸気機関搭載の自動車という意味では、これより100年ほど前、フランスのキュニョーが完成させている)。

 そのベンツの1号車から137年を経た現在、自動車はEVに移行する兆しを見せ始めているが、ヨーロッパで考案されたガソリンエンジンが、初めて日本で乗用車というかたちで使われたのは、1919年に三菱造船が生産した「三菱A型」だった。当時の日本の状況を考えれば、近代工業製品はすべて海外からの輸入技術で、日本発祥のものは皆無だったが、戦後敗戦からの復興を歩むなかで、日本と独自の技術が育まれるようになっていた。

 こうした動きの先駆者となったのは、ロータリーエンジンを実用化した東洋工業(現マツダ)だった。ロータリーエンジン自体は、独NSUバンケル社が特許を保有していたが、1960年代を迎え、マツダは自動車メーカーとして生き残るには独自の技術による新たな商品が必要だと判断し、当時の松田恒次社長が自ら渡欧してロータリーエンジンに関する特許の使用をNSUバンケル社と契約。

 未知のメカニズム、ロータリーエンジン完成にいたるまでの紆余曲折については、すでに多くの情報が伝えられ既知のとおりだが、開発陣の努力が実を結ぶのは1967年、ロータリーエンジン搭載第1号となったコスモ・スポーツが市販化されたときだった。以後、ファミリア・ロータリー、ルーチェ・ロータリークーペ、カペラ・ロータリー、サバンナのかたちで市販化され、広く知られるように、小型軽量コンパクトにして高出力エンジンの実績を市場に残していくことになる。

 このロータリーエンジンに続いたのが、ホンダのCVCCだった。排出ガス(工場、自動車など)による大気汚染が、1970年代を迎えると同時に大きな社会問題として注視されるようになってきた。自動車の場合は、新宿牛込柳町の交差点で、滞留する自動車排出ガスに含まれる鉛成分がまっ先に問題視されたが、すぐに自動車の排出ガスに含まれる有害成分(一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物)が大きく取り上げられるようになり、最終的には昭和53年規制(1978年)というかたちで実施されることになった。しかし、昭和53年排出ガス規制値は、設定当初は達成不可能と考えられるハードルの高い難題だった。

 実際、どのメーカーも企業力を傾注して臨まなければならない状況だったが、ホンダはいち早く独創的なメカニズムでこの問題に対処した。1972年、ホンダは独自のCVCC方式を発表。この方式は、まず特別に設けた副燃焼室内で濃い混合気に着火し、その火炎を使って本来の目的である主燃焼室内の希薄混合気を燃焼するという、2段構えの燃焼方式を考えついた。排出ガスに含まれる有害成分の発生を抑えるには希薄燃焼が有効で、燃えにくい希薄混合気を失火なく燃やすには、いったん濃い混合気を作り、その混合気に着火してから続く薄い混合気を燃やしてしまおう、という考え方である。

 このCVCC方式はシビックに搭載され、昭和53年規制値の原点となった米マスキー法の設定値をクリアしたことで、SAE(アメリカ自動車技術者協会)から1970年代の優秀技術車に選ばれる技術力の高さが評価されることになった。


新着情報