400mを3秒台! 最高時速500kmオーバーってマジか!? 日本じゃイマイチ浸透しない「ゼロヨン」とも呼ばれる「ドラッグレーシング」って何? (2/2ページ)

日本の風土と趣向が競技にあわずに廃れていった

 日本では、1970年代後半に競技として行われるようになり、1984年にJAF公認競技としてRRC(ロードランナー・レーシング・クラブ)が開催。その後、開催数は多くないもののチューニングショップを中心に参加者が集まり、開催ごとに走破タイムが縮まる活況ぶりを見せていた。また、日本ドラッグレース協会(JDRA)も組織され、体系立った発展が期待されたものの、2000年代に入って下火となり、現在は公式競技としてほとんど開催が見られない状況である。

 下火となった理由はいくつか考えられるが、走行時間が10秒前後と短く、また直線の発進加速だけを競う競技内容が単調で、日本では観客を動員するイベントとしてあまり適していないという見方が一般的だ。

 むしろ、参加型のモータースポーツとして新たに台頭した「ドリコン」がドラッグレースに代わり人気となった。もともとは自動車雑誌が主催したドリフト・コンテストがその発祥で、ジムカーナコースにパイロンを立てた簡易コースやミニサーキットを使った競技会が頻繁に開かれるようになり、競技車両のアクロバティックな動きが観客の心を捉え、気がつけばアメリカにも飛び火して、現在では1大モータースポーツカテゴリーとして市民権を得たかっこうになっている。

 SS4分の1マイル、いわゆる0-400m発進加速は、1960年代後半、自動車メーカーが自社製品の性能をアピールする目的で、最高速度と合わせカタログに記載された歴史もある。1960年代後半から1970年代初頭にかけ高性能車を選ぶひとつの目安として、ゼロヨンタイムは大きなセールスポイントとなっていた。また、赤信号で性能自慢のクルマ同士が並び合わせると、青信号に変わったとたんどちらが速いかを競う「シグナル・グランプリ」が展開され、日常の光景として珍しいことではなかった。

 アメリカのように国土が広く、規模の大小を問わず気軽にドラッグレースが行える環境が整っていれば、モータースポーツとして幅広い支持が得られるはずだが、日本の走行環境を考えると、ゼロヨンではなくドリフトが台頭したのも無理のない話かもしれない。


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