なんとエンジンフードがガルウイングの衝撃! デ・トマソ・マングスタは中身もスーパーだった (1/2ページ)

この記事をまとめると

■デ・トマソ・マングスタはフォード、ギアとのコラボレーションによって生み出された

■車両重量は1000kg以下で、フォード製V8をミッドシップに搭載したスーパーカーだ

■デザインはジウジアーロが担当し、その見どころはガルウイング方式のエンジンフードだ

スポーツカーメーカーとなったデ・トマソ

 アレッサンドロ・デ・トマソ。彼の出身地がアルゼンチンであることを考えれば、あるいはアレハンドロ・デ・トマソと発音するのが正しいのかもしれない。彼と自動車との関係は、多くの自動車メーカーの創始者がそうであったように、モータースポーツにあった。母国アルゼンチンでドライバーとして活躍し、その後ヨーロッパへと渡り、おもにオスカ・スポーツカーのドライバーとして活躍。

 ここで彼には運命的な出来事が待っていた。それはアメリカのオスカ・チームでドライバーをしつつも莫大な財産を持つ、イザベル・ハスケルとの結婚だ。彼女の持つ資金を背景に、デ・トマソはイタリアのモデナにデ・トマソ・カー・カンパニーを1959年に設立。その後F1GPにも4回参戦するが、残念ながらポイントを得ることはなく、1970年にレーシングコンストラクターとしての活動を終えている。

 そのデ・トマソが次に始めたビジネスは、当然のごとくと表現してもよいだろう、スポーツカーの開発と生産だった。ファーストモデルはフォード製の1.5リッター直列4気筒エンジンをミッドに搭載し、強固なバックボーンフレームを基本構造体とする「ヴァレルンガ1500ベルリネッタ」。

 最高出力はスタンダードな仕様で102馬力、チューニング版では135馬力を得ることが可能だったとされた。ボディはフィッソーレ製の魅力的なクーペスタイルで、実際にギアによる生産が行われた時には素材は軽量なFRP製となった。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

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