デ・トマソがレーシングカーを作っていた! 意外と知らない「スポーツ5000」「スポーツ5000スパイダー」とは (1/2ページ)

この記事をまとめると

■デ・トマソが世界スポーツカー選手権参戦のために製作したのが「スポーツ5000」だ

■Can-Amのレギュレーションにあわせた「スポーツ5000スパイダー」も製作された

■デ・トマソが製作した数少ないレーシングカーとして、その価値は未知数だ

目指したのは世界スポーツカー選手権とCan-Amの参戦

 1966年の世界スポーツカー選手権にエントリーするために、デ・トマソが生産したコンペティションモデルが、この「デ・トマソ・スポーツ5000」だ。デビューは1965年のトリノショー。この時点では、さらにデ・トマソの前にギアの名前が掲げられたり、また開発時には「デ・トマソ70P」や「デ・トマソP70」とも呼ばれたりしたモデルだが、こちらも1965年の同ショーで発表されている。

 その流麗なスパイダーボディは、前後してシェルビーアメリカンの、デイトナコブラをデザインしたことでも知られる、かのピート・ブロックの手によるもの。製作はトリノのファントゥッツィ社がそれを担当し、デ・トマソのファーストモデルであるヴァレルンガから使用されてきた強固なシングルビームを持つアルミニウム製のバックボーンフレームを核に、そのフロントにはサスペンションやステアリング一式を、またリヤには同じくサスペンションとパワーユニットを搭載するという設計を採用している。パワーユニットも構造体の一部として機能させていることもまた、この70Pの大きな特長だった。

 このモデルをデ・トマソが開発した目的が、モータースポーツへの参加にあったことは最初に触れたが、それは実際にはヨーロッパのみならず、当時急成長していたアメリカのCan-Amシリーズも視野に入れたものだった。

 搭載されたエンジンは、アメリカ流に表記するのならば、シェルビー製の289立方インチ(4736cc)V型8気筒OHV。

 ただし、この70PではCan-Amのレギュレーションを考慮して、最大で7リッターのエンジンを搭載できるよう(したがって車名は70P、もしくはP70とされた)設計されている。参考までにこの4686cc仕様でターゲットとされていた最高出力は526馬力であったという。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

愛車
フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
突然思いついて出かける「乗り鉄」
好きな有名人
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