デ・トマソがレーシングカーを作っていた! 意外と知らない「スポーツ5000」「スポーツ5000スパイダー」とは (2/2ページ)

レースでの結果は残せなかったがその価値は未知数だ

 Can-Amレースのレギュレーションでは、ヨーロッパで行われている世界スポーツカー選手権に参加することができなかったため、デ・トマソは新たにグループ4のレギュレーションに合致させるための70Pの増産に迫られる。必要な台数は50台だが、デ・トマソの社内ではそれとは別に「スポーツ5000スパイダー」という別のマシンの製作が進められていた。

 シャシーやボディデザインは70Pのそれに似ているものの、FIAのレギュレーションに合わせワイパー付きの背の高いフロントウインドウやオーソドックスなドアなどを新たに装備。特例でエントリーが可能になったデビューレースは1966年の世界スポーツカー選手権、ムジェロ500kmだった。しかし、結果はマシントラブルによるリタイヤ。

 以来、このスポーツ5000スパイダーは、デ・トマソ社が解散するまで大切に同社のファクトリーで保管されていた。70Pがフルレストアされているのとは対照的に、オリジナルのコスメティック・コンディションが保たれているのも、その趣を好むコレクターにとっては大きな魅力といえるだろう。

 現在カリフォルニアにあるスポーツ5000スパイダーに、RMサザビーズは90万~110万ドル(オークション当日のレートで1億2330万円~1億5070万円)の予想落札価格を掲げたが、残念ながら今回のオークションでは流札という結果になってしまった。デ・トマソで製作された数少ないレーシングモデル。その価値が認められる日は、きっといつか訪れるに違いない。


山崎元裕 YAMAZAKI MOTOHIRO

AJAJ(日本自動車ジャーナリスト協会)会員 /WCOTY(世界カーオブザイヤー)選考委員/ボッシュ・CDR(クラッシュ・データー・リトリーバル)

愛車
フォルクスワーゲン・ポロ
趣味
突然思いついて出かける「乗り鉄」
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