メルセデスのマイバッハのようにアウディにはホルヒがある! 中国でグレート名でひっそり復活していた「ホルヒ」ってそもそも何? (1/2ページ)

この記事をまとめると

■中国仕様のアウディA8には最高級グレードとして「ホルヒ」の名称が使われている

■もともと「ホルヒ」は創業者のアウグスト・ホルヒが設立した自動車メーカーの名称だった

■「ホルヒ」は高性能を売りにした高級車として欧州ではかなりの人気を博した

アウディの伝説のブランド「ホルヒ」が中国で復活

 アウディA8、いわずとしれた同社のトップレンジを担う高級セダンですが、じつは中国市場むけに「ホルヒ」の名が復活しています。A8のなかでも最上級グレードのみに使用される名前ですが、そもそもはアウディそのものの生みの親となったブランドネームなのです。

 安っぽいマーケッター的な表現をすれば「メルセデスにマイバッハがあるように、アウディにはホルヒがある」みたいな感じ。トップモデルに復活させるなど、売り方もマイバッハに通じるところがありますが、はたして「ホルヒ」の復活は成功するのでしょうか。

 アウグスト・ホルヒ、彼はもともとダイムラーとベンツが合併する以前のベンツ工場でエンジニアとして働いていた人物で、19世紀末(1898年)には独立して自らの名を冠した自動車メーカー「ホルヒ」を創立しました。といっても、クルマ作りはもうしばらくあとのことで、最初は修理&カスタム工場として商売をしていたとされています。

 オリジナルのTYPE4/5PSをリリースしたのが1901年といいますから、そのまま続いていたら100年ブランドの仲間入りを果たしていたはずです。その後、TYPE18/22PSという高性能版を作ると、ドイツの国内レース「Hel kommer Cup(ヘルコマーカップ)」に出場し、最小排気量クラスで見事優勝を飾ったのです。当時は珍しかったアルミ鋳造シリンダーブロックを使ったのが特徴で、高性能を宣伝文句として高らかに謳っていたのでした。

 ところが、1909年にアウグストはほかの重役と意見が対立し、自分が作った会社から追い出されることに。ドイツ人エンジニアって人種は、頑固というか偏屈というか、ビジネス向きなのはポルシェ博士くらいしかいないのでしょうね(笑)。で、アウグストはツヴィッカウという場所に「ホルヒ・ツヴィッカウ」なる会社を興したのですが、これに元祖ホルヒは裁判所を通じて名称変更を命じたのです。ちなみに、この命令にアウグストがしぶしぶ従って、新たな名称にしたのがほかならぬ「アウディ」だったのです。


石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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