活魚車からダンプへと変われどデコトラ熱は変わらず! 小学生のころから憧れたデコトラドライバーの半生

この記事をまとめると

■デコトラ「航輝丸」のオーナーにトラック運転士になった理由を聞いた

■ノブさんはチャリティ撮影会にカメラ片手に参加していた頃からデコトラドライバーが将来の目標だった

■ノブさんは小学生のころから変わらずデコトラの魅力にとりつかれている

デコトラドライバーになることが小学生の頃からの夢だった

「デコトラオーナー、普段はナニしてる人?」の連載4回目。働く商用トラックを、自分好みに飾って仕事をするプロドライバー。彼等はなぜデコトラドライバーになったのか? 生い立ちから経歴と愛車遍歴までを紹介しよう。

 和歌山県を拠点にダンプ屋稼業に精を出す、アラフィフ世代のノブさん。父親もダンプ乗りだったこともあり、トラックドライバーになるのは、ごく自然の成り行きだったそう。

 小学校高学年で第2次デコトラブームに感化され、地元で開催されたチャリティ撮影会にカメラ片手に参加するなど、そのころからデコトラドライバーが将来の目標だった。

 高校卒業後バス会社に就職するも、やはり当初の夢は捨てがたくすぐに地元の水産物輸送会社に転職し、念願のトラックドライバーとなった。全国各地の漁港で活魚を積み、東京の築地市場へと走ってキャリアを重ねていった。ノブさんの愛車は活魚を載せた荷台のリヤに、当時トラッカー達にも絶大な人気を誇った工藤静香のペイントがトレードマークの活魚車で、訪れた先の全国の漁港や市場でも注目の的だったという。

 大型車の日野自動車プロフィアへと乗り替わった活魚車では北陸方面をメインに活躍。フロントバンパーはラッセル戻しタイプで側面にスリットが入る当時のトレンドを採用。あまりに大ぶりなサイズなので前面を上下可動式として路面干渉を避ける仕掛けも。自身もお気に入りのパーツだったが、『かなり重たいバンパーやった』と振り返る。

 “魚屋”として全国各地を飛びまわっていたが、長距離ドライバーの宿命というべき重度の腰痛を発症してしまう。これが転機となって身体に負担が少ない、父親と同じダンプ屋に転職を果たす。

 最初のダンプはいすゞ自動車の、角目4灯が特徴の810。フロントまわりの飾りはバイザーとミラーステーと手数は少なかったものの、リヤのテールランプは15連テールとダンプでは大胆な架装を施していた。次のダンプは同じくいすゞ自動車製、平成14年式のギガ。角オコシのミラーステーにケーニッヒタイプのバスマーク、サイドバンパーと飾りも充実。本人のお気に入りのパーツは厚みをたっぷりともたせ、サイドにスリットを採用した舟型バンパーだったとのこと。

 現相棒のビックサムのニックネームは航輝丸。いまや希少なV8エンジン搭載車なので大切に乗っている。黒いボディカラーにシルバーに光り輝くステンレス製のアートパーツがよく映えるイカついダンプだ。押し出しのあるバンパーや面積の巨大なサイドバンパー、そして凝ったデザインで存在感あるミラーステー&バイザーなどが目を引く。

 ダブルマフラーも、もう少し叩きがほしいので、あれこれ思案しているところ。リヤバンパーもリニューアル完成と、デコトラ熱は一向に覚めない程、小学生の頃から変わらずデコトラの魅力にとりつかれているようだ。


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