なぜか不遇のV8ランボルギーニ! SUVのウルス以外は不人気モデルだらけという残念な歴史 (1/2ページ)

この記事をまとめると

ランボルギーニは中期計画「コル・タウリ」の名の下にV8モデルを復活させた

■ウラッコからジャルパまでのV8搭載車種は挑戦と失敗の連続だった

ウルスやテメラリオなどのV8モデルが新たに生まれたが真のランボらしさを問う声もある

かつて起死回生を狙って生まれたV8ランボたち

 ランボルギーニが立てた環境に対する中期計画「コル・タウリ」って、日本語にすると「雄牛の心臓」なんだとか。レヴエルトやテメラリオといったニューモデルを相次いでプラグインハイブリッド化したのもその計画に基づくものでしょうが、はたして雄牛の心臓のような荒々しい鼓動感はあるのでしょうか。

 鼓動といえば、テメラリオでは久しぶりにV8エンジンが復活しています。ランボ=V12という原理主義者を除けば、V8独特の鼓動や脈動感を好む方も少なくないはず。V12の陰に隠れているものの、歴史を振り返るまでもなく、ランボルギーニのV8エンジンは名機の誉れ高いユニットに違いありません。

 かつてのランボルギーニにとって、V8エンジンの開発はすなわち死活問題にも等しいものでした。なんといっても、創業以来フェルッチオの望みどおり売れまくったのはミウラだけであり、その他が鳴かず飛ばずでは、自動車メーカーを始めた意味さえ失うわけです。そこで、フェルッチオが仮想ライバルをポルシェ911に定め、ニューモデルの開発を命じたのは有名なエピソード。

 2+2という実用性に加え、ボクサーエンジンという優れたパワーユニット、そして比較的コンパクトなスポーツカーというライバルのパッケージに「だったらV12いらなくね」となったのは容易に想像がつきます。

 1970年のトリノショーでデビューしたウラッコこそ初のV8モデルでしたが、開発はV12搭載のグランツーリスモ、ハラマと同時並行していたといわれます。設計を担ったのは、当時のランボルギーニ花形エンジニアだったパオロ・スタンツァーニ。フェルッチオから「911をやっつけろ」くらいのザックリしたオーダーに対し、スタンツァーニの考えかたは緻密でコンパクト、かつ軽量なV8こそふさわしいというもの。

 もともとスタンツァーニは、ジオット・ビッザリーニが基礎を担ったV12は重厚長大で「スポーツカーにふさわしいとは思えない」とかなんとか悪口もいっていたとか。

 さて、お得意の砂型鋳造で作られたオールアルミ2.5リッターV8は、前後長1020mm、幅600mm、高さ700mmとコンパクトで、むろん12気筒エンジンよりも軽量に仕上がりました。これをミッドに横置きしつつ、4250mmの全長、2450mmのホイールベースというパッケージを成り立たせているのです。ウラッコはリヤに+2座ぶんのシートまで付いているわけですから、筆者としてはアレック・イシゴニスのミニに匹敵するようなエポックメイクに思えてなりません。

 そして、ウラッコP250と名付けられ、それまでのランボより低価格、かつ実用性もそこそこ、飛ばそうと思えば240km/hも出る最高速をカタログに記載。

 当初は売れゆきも悪くなかったようですが、やっぱり911やフェラーリ308の壁は分厚かったのです。3リッターにボアアップしたP300や、イタリアの税制に合わせた2リッターNAのP200といったバリエーションも焼け石に水。ウラッコがランボの景気を好転させることはついに叶わなかったのでした。


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石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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