タトラ史上もっともモータースポーツで活躍したモデル
また、RRパッケージとしてリヤに搭載されたエンジンは2.5リッター空冷V8OHV。100馬力/152Nmを発揮するとされ、1400kgの車重に対して十分以上の出力だったとされています。この603Fと呼ばれるエンジンは、のちにショートストローク化され排気量を減らしつつも回転馬力で106馬力までチューンされました。進化したエンジンは、パワーや耐久性はピカイチで、T603のレーシングカーでもひんぱんに使用されたとのこと。
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ちなみに、同系エンジンを搭載していたT87は、戦時中のドイツ軍から「チェコの秘密兵器」と呼ばれていたとか。多くのドイツ軍将校が、V8エンジンのパワーに酔いしれつつも、RRのコーナリングに慣れないまま事故を起こして死亡することが相次いだことから兵器呼ばわりという次第。大戦中、チェコはドイツ軍に侵攻されていたことを思い出すまでもなく、なんとも皮肉なエピソードです。
また、ずんぐりむっくりした芋虫みたいなスタイルにもかかわらず、T603は果敢なまでにレースに出場しており、しかも見た目を裏切る大活躍(笑)。1957~1967年にかけて、72回もレースに参戦(うち24回は国内レース)し、60回の優勝と56回の2位、49回の3位を獲得という素晴らしい成績を残しているのです。タトラ自体が戦前から積極的に参戦していたという慣習に即した活動ですが、同社史上もっとも偉大な成績とのことで、ユニークなT603を見直すには十分すぎるファクターではないでしょうか。
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ところで、1960年のモンテカルロラリーだけはちょっとした悲劇でもって参戦が叶いませんでした。これはチェコスロバキア内のライバルメーカー、シュコダがボヘミア人を主体としているのに対し、タトラはモラヴィア人による会社というのが大きな理由で、両民族は長い対立の歴史があったのです。当時の趨勢だったボヘミア気質でもって、シュコダが参戦OKとされ、タトラは悔し涙を飲んだということ。このシュコダVSタトラという歴史も、マクロ的に観察すればじつに興味深いエピソードが満載です。
ともあれ、T603はその後もT2-603(1962)、T3-603(1968)へとグイグイ進化を遂げていき、1975年に生産終了となるまでに2万台あまりがロールアウト(諸説あります)しています。政府高官むけの生産が主体だったためか、東側のクルマとしては生産台数が少なめですが、いまでは西側諸国にオーナーズクラブが存在するなどしっかり生き延びている模様。
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ちなみに、3つ目顔は初代のみですが、T2/3もまた一度見たら忘れない顔つき。これを機にタトラを深堀してみるのも面白いかもしれません。