「安いから」じゃなく「総合的にお買い得」なのだ! たとえ関税15%でも北米で日本車は売れ続ける!! (2/3ページ)

鳴かず飛ばずだった「ジャパンキラー」たち

 ところが大型のアメリカ車もその後ダウンサイズを続けるなか、1994年にクライスラーが「ネオン(ダッジ/クライスラー/プリムス)」をアメリカ国内で発売し、これは「ジャパンキラー」などとも呼ばれ、カローラやシビックなどをターゲットにしたモデルとして日本でも話題となり、日本国内でも1996年よりクライスラー・ネオンとしてこの初代と2代目が販売されていた。当時GMは1995年に3代目シボレー・キャバリエ(ネオンクラスのモデル)を発売し、このモデルも1996年から2000年の間にトヨタ・キャバリエとして日本国内で販売されていた。

 ネオンはボディサイズからいくとカローラクラスをライバルとして開発されたモデルとなるが、当時のカローラよりはボディサイズは大きめとなっていた。搭載エンジンもネオン2はリッターだったので、日本で販売しても税制面で日本車並みになっていたのだが、トヨタ・キャバリエでは2.4リッターDOHCエンジン搭載車が輸入されていた(2.2リッターも本国にはあったがOHVだったためか輸入されなかった)ので、その点では不利だったともいえるだろう。

 正規輸入販売前に、「ジャパンキラー」として日本でも話題となっていたネオン。某中古車量販店がアメリカからアメリカ仕様(左ハンドル)のネオンを個人輸入してメディアに貸し出しているとのことなので、仮ナンバーを携え、借りだして乗っていた時のこと。時間は午後10時ぐらい、東京都内内堀通りの飯田橋駅近くを流していると、後方からサイレンを鳴らして近寄ってきたパトカーに停止を促された。

 警察官いわく「仮ナンバーが確認しにくかった」というのが停車指示の理由とのことであったが、そのあと「これってジャパンキラーとして話題のクルマでしょ」と、相棒の警察官とともにネオンをじっくり見ていきパトカーで立ち去っていった。警察官はクルマ好きも多いとは聞いていたが、ほぼ個人的興味で停車させられたようであった。

 キャバリエは当時、警察の覆面捜査車両でもよく使われていたのだが、搭載エンジンが2.4リッターで、一般ユーザーはアメリカ車にネガティブなイメージも抱いていたこともあり販売には苦労していたようである。

日米貿易摩擦とクルマの歴史

 ネオンは販売体制がしっかりしていないこともあったようだ。首都圏某県では某フレンチブランドをメインに販売するディーラーが取り扱っており、ネオンの面倒を見ることができるメカニックが限られていた。また初期ロットはアメリカ生産モデルだったのだが、セカンドロット以降はオーストリアのマグナシュタイヤー製となったとのことなので、アメリカ車に興味のある層もドン引きとなり、思うように販売は伸びなかったようだ。

 ネオンのクルマとしての性能自体は、足まわりが固めでアメリカ車としてはかなり意欲的なモデルとなっていた。オーディオの配線まわりなどは1960年代のクライスラー車のままということで、オーディオの取り付けプロショップのベテラン作業員は取り扱い説明書不要でスピーカーの交換作業などが行えたようである。

 ゴムや樹脂系部品の劣化は激しかったようだが、エンジン自体は4万キロぐらいまでが(当時の南カリフォルニアあたりでの標準年間走行距離に相当)「ならし運転」とはなるものの、トルクが太く当時の日本車の2リッターエンジンとは異なるパフォーマンスが楽しめたようである。

 日本車では4速ATが当たり前の時代に3速ATとなっており、しかもクリープ速度もかなり速いのだが、ギヤ比の調整でそれほどネガティブに感じることもなく運転することができた。日本車がカムリクラスや、そしてレクサスなど高級ブランドも登場してくるようになり、全方位的にアメリカ車の脅威となると判断し、あえて「ジャパンキラー」をこのタイミングで意識したのだろう。

 アメリカ車好きを自称する筆者としては、灯火類がよりアメリカ仕様に近かったこともあり、キャバリエより興味をもっていた。


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小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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