この記事をまとめると
■アメリカには「カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ」というレースがあった
■カンナムと略された同レースはルールがおおらかで車両規定は何でもありだった
■日本のメーカーも参戦を検討していた背景があるが1987年に終了した
なんでもありの究極のレース
カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ(Canadian-American Challenge Cup)、通称カンナム(Can-Am)というレースをいまでも世界最高のレースだったと振り返るベテランは少なくありません。そのオープンでハチャメチャ、それでいて一流レーサーやチームがしのぎを削っていたことを知れば、ベテランだけでなく現代のクルマ好きも目を丸くすること請け合い。個人的に復活してほしいレースのダントツ筆頭なのです。
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カンナムは1966年にアメリカとカナダで開催されたFIAルール下のスポーツカーレース、と定義できるのですが、ざっくりいえばアメリカ流のおおらかなルール、つまり「なんでもあり」的なハチャメチャレースというのが実際です。たとえば、初期のルールとして最低排気量は2.5リッターと定めながら、上限はなし! 5リッターどころか7リッター、8リッターといったエンジンを積んだマシンがぞろぞろいたわけです。
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また、世界的なメジャーレースのシーズンオフに開催されたために、そのころの一流ドライバーが数多く参戦したこともカンナムの知名度、エンタテイメント性を大いに底上げしてくれたはず。ジャッキー・スチュワート、ジャック・ブラバム、ジョン・サーティース、デニス・ハルムといったF1チャンピオン経験者に加え、マリオ・アンドレッティ、パーネリ・ジョーンズ、ピーター・レブソンらアメリカ国内でも人気のメンバーが顔をそろえるわけですから、盛り上がらないはずがありません。
もちろん、コンストラクターやチームについても一流どころが参戦。これには、カンナム人気に加えて、破格の優勝賞金も無関係ではなかったはず。イギリスで最年少F1チャンピオンとなったブルース・マクラーレンなどは、クーパーF1のシートをキャンセルし、自らチームを立ち上げたほど。いうまでもなく、彼のチームは現在のF1でもトップランナーとして活躍しています。
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このマクラーレンは1966年の開幕シーズンこそチャンピオンを逃したものの、翌年から1971年まで5連覇を成し遂げています。彼が作り上げ、そしてハンドルを握った「M6A」「M8B」は全勝優勝を飾るなど、カンナムのアイコンといって差し支えありません。むき出しのインレットパイプや、滑らかなカーブを描くボディラインなど、マクラーレンの美しさはいまでもときめき抜きでは語れないほど。
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そして、マクラーレンにケンカを売ったのが、地元アメリカのシャパラルでした。石油ビジネスで財を成したジム・ホールがそれこそすべてを注ぎ込んで開発したマシンは、いずれも革新的なものばかり。怪鳥のあだ名がついたシャパラル2E、ボディそのものがウィングと化した2H、あるいは吸気ファンでグラウンドエフェクトを発生させた2Jなど、アメリカ人を熱狂の渦に巻き込んだのでした。
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