いまやトヨタの3分の1……日産よあの頃を思い出してくれ! かつて「TN戦争」と呼ばれるトヨタと日産がガチで張り合いまくった時代があった (1/2ページ)

この記事をまとめると

■「BC戦争」とはブルーバードとコロナのライバル関係を示している

■「販売のトヨタ」「技術の日産」と並んで称されていた時代がある

■2025年1~8月の新車販売台数の実績はトヨタが94万台で日産は28万台だ

自動車の選択肢がセダンを中心としていた時代

 1960~1970年代、日本の自動車マーケットではトヨタと日産が2大ブランドとして君臨していた。それぞれの頭文字をとって「TN戦争」などと呼ばれるほどのライバル関係としてユーザーが認識していた時代だった。その背景には、当時の自動車ユーザーはセダンを中心としたクルマ選びをしていたこと、ステップアップ志向であったことが影響しているだろう。

 1970年代でいうと、エントリーモデルの小型セダン(1~1.3リッタークラス)から、ひとつ上の中型セダン(1.5~1.8リッタークラス)へ乗り換え、稼ぎに余裕がでると2リッターエンジンの上級セダンで「あがる」というのが、ひとつの成功パターンだった。税制的に3ナンバーは高嶺の花であり、庶民の購入対象にはならない時代でもあった。

 1970年代において、こうしたステップアップが可能な、フルラインアップを揃えている国産メーカーは、実質的にトヨタと日産しかなかった。具体的には、トヨタでいえば、「カローラ→コロナ→クラウン」であり、日産であれば、「サニー→ブルーバード→セドリック」というステップアップが王道路線といえる。

 そんなTN戦争のルーツとなるのが、1960年代に熱いバトルを繰り広げた日産ブルーバードとトヨタ・コロナのライバル関係だろう。それぞれの車名のイニシャルをとった「BC戦争」は、1960年代のモータリゼーションにおける重要なトピックであった。

 1957年に初代コロナが誕生、日産は1959年にブルーバードを投入する。すぐさま1960年にコロナは2代目へ進化するが、当初はブルーバードが販売面で大幅にリードした。そして1963年に新型ブルーバードへとフルモデルチェンジを実施する。負けじと1964年にトヨタはコロナをフルモデルチェンジ、この3代目にしてようやくコロナは販売面でブルーバードを超えることができた。

 そして、1966年には日産サニーとトヨタ・カローラが相次いでデビュー。サニーに半年遅れで誕生したカローラは、サニーよりも排気量の大きな1.1リッターエンジンを積み、「プラス100ccの余裕」というライバルを挑発するようなキャッチコピーを掲げた。

 日産も負けていない。1970年にフルモデルチェンジした2代目サニーでは、1.2リッターエンジンへとグレードアップ。「隣のクルマが小さく見えます」とあからさまにカローラを意識したフレーズで新型の性能をアピール。メディアも巻き込んで、TN戦争は拡大していく。


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山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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