メーカーの成り立ちも独特だった
調べたところによると、Crosley Motors社のオーナー兼創業者はパウエル・クロスリーという人で、1920年代から1930年代にかけてラジオと冷蔵システムの製造で財を成した人物らしい。で、このクロスリーさんはまだ21歳だった1907年から「マラソンシックス」というクルマを発明していたが、試作車以上のモノには至らなかった模様。
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その後も自動車製造に関しては失敗を続けたクロスリーさんは1914年に自動車製造業から撤退したものの、その後は「低価格ラジオ業界の王者」となり、高品質なラジオを当時の人々が購入可能な価格で提供する人物および会社として財を成した。
で、ラジオ事業の大成功によって自動車開発に取り組む時間と資金を得ることになったクロスリーさんは、1937年から再び自動車の開発を開始(好きなんですね……)。第二次世界大戦の勃発で生産中止となるまでは、数千台単位で4人乗りの小型車を製造販売していたようだ。
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しかし戦後、アメリカの自動車界は「クルマは大きければ大きいほどいい」というような価値観で動き始めたため、小型車を得意とするCrosley Motors社は苦戦。そこでクロスリーさんが1950年に参入したのが商業および農業市場。つまり「クロスリー・ファーム・オー・ロード」は、トラクターと小型商用車の長所を融合させた多目的車両として開発された1台だったのだ。
ボディスタイルとしてはジープのようなニュアンスとなるクロスリー・ファーム・オー・ロードだが、農作業用のオプションアタッチメントを複数装備可能だったという意味では「超小型のウニモグ」ともいえるのかもしれない。
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クロスリー・ファーム・オー・ロード は1950年7月に発表され、Crosley Motors 社が1952年7月に閉鎖されるまで、およそ600台が生産されたようだ。
そして前述したとおり、サンディエゴのCrofton Marine Engineering社がファーム・オー・ロードの権利とツールを購入し、1959 年から 1963 年にかけて 「Crofton Bug(クロフトン・バグ)」 として約250台を再生産した……というのが、「知られざるBUG」についてのお話なのでありました。
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