この記事をまとめると
■日産のNISMO、トヨタのTRD、ホンダの無限は日本を代表する三大ワークスチームだ
■各社が異なる哲学と体制でモータースポーツ活動を展開し独自の文化を築いた
■経営環境の変化を経ても情熱は続き、国産メーカーを代表する走りの象徴であり続けている
日本のモータースポーツ史を紡いだワークスチームたち
自動車メーカーと密接な関係のあるモータースポーツ部門会社が、いわゆるワークスチームといわれる組織だ。国内では、スーパーGTでしのぎを削っている日産系のNISMO、トヨタ系のTRD、ホンダ系の無限(M-TEC)が「三大ワークス」といわれている。
NISMOはニッサンモータースポーツインターナショナルの略称で、その前身は1964年の第2回日本GPのために組織された日産ワークス(追浜ワークス)と日産の広報宣伝部の大森分室(大森ワークス)にまで遡れる。そして1965年に日産自動車とプリンス自動車工業が合併し、日産ワークスに旧プリンスワークスも合流して大所帯となる。
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日産ワークスは、1軍といわれた追浜ワークスの高橋国光、北野 元、黒沢元治の日産三羽ガラスを擁し、大森ワークスにも若き日の長谷見昌弘、星野一義が所属していた。1960年代は、国内頂上決戦だった日本グランプリを制するためプロトタイプカーのR380、R381、R382での戦いが主戦場だったが、マスキー法による排ガス規制の影響でハコスカGT-Rによるツーリングカーレースがメインに移行。しかし、1973年にオイルショックのため、ワークス活動はいったん終焉……。
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そんな日産のワークス活動が復活したのは、1984年。1979年からはじまったスーパーシルエットが盛り上がり、1982年からは、シルビア(星野)、ブルーバード(柳田)、スカイライン(長谷見)の3台が、「日産ターボ軍団」として参戦。この日産ターボ軍団の活躍が大人気となり、それがきっかけでモータースポーツ会社、ニッサンモータースポーツインターナショナルが1984年に設立された。
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そんなNISMOは、去年(2024年)に40周年を迎えたが、2025年は年に一度の祭典、ニスモフェスティバルも中止……。日産本社の経営が危ぶまれ、日産ワークスの聖地、追浜工場も2027年に閉鎖されると報道されたが、新社長エスピノーサ氏のもとなんとかV字回復を実現し、モータースポーツ活動も活発になることを祈りたい。