この記事をまとめると
■1992年登場の三菱エメロードは4ドアハードトップ人気の終盤に投入された最後発モデル
■空力重視のCd値0.29ボディやV6・MIVECエンジンなど先進装備で走りを追求
■バブル後の市場で価格とパッケージのミスマッチが響き、販売的には不発に終わった
満を持して4ドアハードトップ市場に殴り込むも時すでに遅し
1985年に登場した初代カリーナEDが火付け役となり、数多くのフォロワーを生み出した「4ドアハードトップ」というジャンル。このジャンルは、4ドアでありながらクーペのような低いルーフをもつスタイリッシュさが最大の特徴となっており、ハイソカーブームも手伝って若いユーザーに高い人気を獲得するモデルとなった。
そのため、トヨタ以外の各メーカーからも同様のコンセプトをもったモデルがぞくぞくとリリースされることになったのだが、その最後発となったのが1992年10月に登場した三菱エメロードだった。
三菱エメロードのフロントスタイリング画像はこちら
このエメロードは当時のギャランのプラットホームを用いたモデルとなっており、高度なコンピュータシミュレーションと風洞実験によって導き出した最適なボディ形状を纏い、グリル一体型のヘッドライトなど個性的なルックスが与えられていた。
この本格的な空力特性を備えたボディと、低い全高も相まってCd値は0.29と当時としてはかなり優秀なものとなっていたのである。
三菱エメロードのリヤスタイリング画像はこちら
また、車両自体は2リッタークラスのモデルとなっていたが、最廉価グレードに直列4気筒が搭載される以外は、1.8リッターSOHC、2リッターSOHC、2リッターDOHCとV型6気筒だけでも多くのバリエーションを揃えていたことも特徴だった。
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さすがにギャランに搭載された2リッターV6ターボエンジンは用意されなかったが、遅れてNAながら200馬力を叩き出す6A12型のDOHC MIVECエンジンも追加され、空力特性のよさも相まって走りのポテンシャルはかなり高いものとなっていた。
しかし、当時はすでに4ドアハードトップ人気は下火になりつつあったタイミング。価格も最上級グレードは300万円を超えるものとなっていて、同時期の上級車種であるディアマンテの2.5リッターモデルも狙えるということで、残念ながら人気車種になることは叶わなかった。
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いっときは圧倒的な人気を誇った4ドアハードトップであったが、冷静に考えてみるとルーフが低く、後席のスペースが不足気味となっているため、4ドアである利点がない見た目重視のモデルだったという単純な理由で人気が失われていくことになった。裏を返せば、当時のバブル景気やハイソカーブームはそんな当たり前のことにも気づかないほど浮かれた時代だったということなのかもしれない。