※本記事は雑誌「CARトップ2024年7月号」の記事を再構成して掲載しています
大衆車づくりを促進した第2次大戦からの復興
現在日本で量販されているフランス車のエンジンを見ると、2リッターの直列4気筒が最大となっている。他国のクルマも、昔に比べればダウンサイジングが進んでいるけれど、ドイツ、イギリス、アメリカにはV8を積んだ量産車があるし、6気筒は日本車にもいくつかある。
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これがフランス車の立ち位置を表していると言えるのではないだろうか。できるだけ多くの人に、移動の自由を提供するために存在し続けていると思えるのだ。
ガソリン自動車が生まれて間もなく、まだ蒸気自動車や電気自動車と本命争いをしていた1900年に、世界でもっとも多く自動車を生産した国はフランスだったという。その数わずか4800台だったが、同じ年にドイツは800台にすぎなかった。
ドイツが自動車を先進的な機械として見ていたのに対し、フランスは早くも移動の自由をもたらす道具として考えていた。この時代にしてすでに、独自の方向性を確立していたのではないかという気がする。
その後、クルマは大型/高級/高性能化の道をたどっていく。フランスも例外ではなく、第2次世界大戦前にはブガッティをはじめ、ドライエ、ドラージュなど、世界に名だたる高級車を送り出していた。
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しかし、戦後、大戦には勝利したものの多大な被害を受けたこともあって、フランス政府は復興を第一に考え、大排気量に重税を課し、大衆車づくりを促した。その結果、前記のラグジュアリーブランドは次々に姿を消し、ルノー、プジョー、シトロエンの3ブランドが力をつけていった。
バカンスの移動手段は安物ではない大衆車
ルノーとシトロエンの戦後初の新型車が、750ccの4CVと375ccの2CVだったことが、その後のフランス車が進んでいく道筋を示していたようだった。
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でもそれは、たんなる安物ではなかった。20世紀に入る頃にはすでに、移動の自由をもたらす道具としてクルマを位置づけていた国だ。スピードは出ないし、高級でもなかったけれど、家族全員でバカンスを楽しくすごせることにこだわった。
フランスは日本より広い国土を持つうえ、西ヨーロッパの中心にあって、ドイツやスペインやイタリアなどと地続きだ。戦後になって、こうした国へのドライブも自由にできるようになった。
よって、長距離ドライブが楽しみとなるように、シートの座り心地は優しく、乗り心地はしなやかで、直進安定性に優れるという、現在に受け継がれるフランス車の長所が育てられたのではないかという気がする。
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しかも、フランスは人と違うことをすると褒められる国だ。ミレーやロダンなどの芸術家を数多く輩出し、シャネルやルイ・ヴィトンといったファッションブランドが次々に生まれたのもそうしたことが理由なのかもしれない。
クルマもしかり。ほかのどの国のクルマとも違う、前衛的で独創性にあふれるデザインに結びついたのではないかと思うのだ。