輝かしい勝利を挙げた国産グループAラリーカー達(セリカ・ギャラン・レガシィ)

輝かしい勝利を挙げた国産グループAラリーカー達(セリカ・ギャラン・レガシィ)

グループA規定で活躍した国産ラリーカー達

 1973年に世界ラリー選手権(WRC)が制定される以前から、サファリやモンテカルロ、あるいはRACラリーなど海外のビッグイベントに参戦してきた国産ラリーカー。

 Gr.2からGr.4へとマシン進化させてきたものの、ミッドシップやAWDなど、海外勢が繰り出す新技術に太刀打ちできないでいたが、レギュレーションが変更されて83年からGr.Bで戦われるようになり、そのGr.Bが速くなりすぎたことで主役がGr.Aに移行して後は、国産車もトップコンテンダーへと上り詰めることになった。そしていよいよ戴冠のときを迎えた。

1992 Toyota Celica GT-Four Type ST185 Gr.A WRC Spec.
グループAセリカの集大成で93年からダブルタイトルの2連覇を達成

 1988年のツール・ド・コルスにデビュー以来3シーズン半を戦ってきたST165系のセリカGT-FOURに代わって1992年シーズンの開幕から主戦マシンとしてWRCを戦うことになったのがST185系のセリカGT-FOUR RC、通称“カルロス・サインツ・エディション”だ。

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1992_Toyota Celica GT-Four Type ST185 Gr.A WRC Spec.デビュー当初はライバルとのパフォーマンスの差も大きく、熟成にも苦労。ただし最後までたゆまぬ努力を続けた結果、ラスト2戦を連勝したカルロス・サインツが大逆転でドライバーズタイトルの奪還に成功した。

サインツがランチアに去り、ランチアから移籍してきたディディエ・オリオールがエースとなった翌93年、オリオールはドライバーズタイトルを得るとともにトヨタに、悲願だったメイクスタイトルをもたらすことになる。
(2015年のトヨタ・ガズー・レーシング・フェスティバルで撮影)1992_Toyota Celica GT-Four Type ST185 Gr.A WRC Spec.
1992 Mitsubishi Galant VR-4 WRC Rally-car 24ème Rallye Côte d’Ivoire Bandama Overall Winner
篠塚健次郎がコート・ジボアールで2年連続優勝

 三菱ギャランは息の長いラリーカーだった。88年にデビュー以来、5シーズンを戦い抜くことになったのだ。91年にはエボリューションモデルに移行しているが、基本設計は変わっていないから、旧態然に映るのは仕方ない。1992_Mitsubishi Galant VR-4 WRC Rally-car 24eme Rallye Cote d'Ivoire Bandama Overall Winnerだが見方を変えれば、充分に開発されてきた、ということでもある。三菱ワークス=ラリーアート・ヨーロッパはすでに、次期モデルたるランサーの開発に精力を注いでいたから、これ以上の開発は望むべくもなかったが、本家ともいうべきラリーアート・ジャパンが参戦を受けもったアフリカラウンドのコート・ジボアールでは篠塚健次郎が大逆転ドラマを演じることになった。1992_Mitsubishi Galant VR-4 WRC Rally-car 24eme Rallye Cote d'Ivoire Bandama Overall Winner開始早々、ターボのトラブルで大きく遅れた篠塚は、以後をヨーロッパラウンド並みのスピードで追い上げていく。そして上位陣には様々なハプニングが起き、最終的には大逆転で2年連続優勝、三菱としては実に3連覇を飾ることになったのだ。
(岡崎の三菱オートギャラリーにて撮影)

1993 Subaru Lagacy Prodrive Works Group A Spec. ’93 British Open Championship Winner
ファンはもちろんチーム関係者全員からリスペクトされたレガシィ

 スバル・レガシィもまたWRCを長く戦ってきたクルマだ。実際には90年にデビューしているが、プロドライブとジョイントし、彼らがチューニングしたエンジンを搭載した91年最終戦・RACラリーが“本格デビュー”と見ることもできる。1993_Subaru Lagacy Prodrive Works Group A Spec. '93 British Open Championship Winnerそして初勝利を挙げた93年のニュージーランドまで足掛け3年、丸1年半を戦っただけだが、ファンやチーム関係者の気もちのなかでは、かけがえのない存在となっていた。

だから後継マシンたるインプレッサが出撃準備完了となってからも『レガシィに1回、WRCで優勝させてから(インプレッサをデビューさせる)!』が彼ら共通のコンセンサスとなった。1993_Subaru Lagacy Prodrive Works Group A Spec. '93 British Open Championship Winner考えてみれば、チーム関係者は自分たちで自らにプレッシャーを掛けることになっていたのだが、その甲斐あってか93年のニュージーランドでは若きエース、コリン・マクレーがフォードの名手、フランソワ・デルクールとの一騎打ちに勝ち、陣営に悲願の初優勝を飾ることになった。

 写真はSTI/プロドライブではマクレーの後継者となるリチャード・バーンズが93年の全英オープン・ラリー選手権でチャンピオンに輝いた時のマシンそのもの。
2015年のグッドウッド・フェスティバルofスピードで撮影)

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