【70年代のF1マシン】幻の6輪マシンも製作していたマーチ (2/2ページ)

F2ベースのコンパクトマシン「Gシリーズ」

1972 March 721/G4・Ford Cosworth DFV

 721に代えて投入した721Xはしかし、上昇機運をつかむことはなかった。カルロ・キティが設計したアルファ・ロメオ製のミッションを採用。

しかもそのミッションをエンジンとデフの間にマウントし、リヤサスペンションもアッパーアームをベルクランク状に構成して、スプリング/ダンパー・ユニットをインボードにマウントする新機軸も盛り込まれたが、結果には結びつかず。3レースに出走しただけで後継の721Gに主役交代となる。

1972_march-731

 この721Gは、当時マーチが力を入れていたF2用の722をベースに、F1GP仕様にコンバートされたもの。とはいってもBMWの2リッター直4エンジンに代えてコスワースDFVを搭載し、増量した燃料タンクをモノコックの両サイドにマウント。

さらに、その後方にマウントしたサイドラジエターの容量を引き上げた程度。それでも緒戦のフランスGPでロニー・ピーターソンが5位入賞を果たすと3戦目のドイツGPでは3位表彰台を獲得。F2では明らかにオーバークォリティだった、ということか。

 ともかく、F2ベースということでホイールベースもトレッドもライバルに比べるとコンパクトに仕上がっていたのは事実で、そしてそれが高い運動性能を引き出していた、ということもおそらく間違いではなかったろう。写真の個体は16年にドニントンのGPコレクションで撮影。メインカウルの形状からは721Gと推測されるが、展示プレートには72年の731Gとあり、詳細は不明。

F1史上唯一の女性ドライバーによるポイントをもたらしたマシン

1975 March 751・Ford Cosworth DFV

1976 March 761・Ford Cosworth DFV

 マーチは当初、1975年シーズンのF1GPには参戦しない、と公表されていた。最大の理由はF2にすべてを注ぎ込むためだった。ところがヴィットリオ・ブランビラとレッラ・ロンバルディの2人がビッグスポンサーをもち込むことになり、急遽75年モデルのF1マシンが製作されることになった。1975_march-751

 とはいうものの、やはり前年までと同様、F2マシンのモノコックを使用し、DFVエンジンをマウントするとともに燃料タンクを増量する程度。それでもF2マシンの752は、前年の742からのアップデート=設計変更ではなく、一新されていたから、結果的に751もブランニューとなった。

マーチにとって最優先カテゴリーだったヨーロッパF2ではマルティニ・BMWを駆るジャック・ラフィーに王座を譲ることになったが、それでもワークスの2人、ミッシェル・ルクレールとパトリック・タンベイが同ポイントでシリーズ2位に並んでおり、面目を果たすことはできた。1975_march-751

 それ以上に意外な活躍(といったら失礼だろうか?)を見せたのがF1仕様の751。ブランビラが、荒天に見舞われ、豪雨の影響で短縮されたレースのオーストリアで初優勝を飾った! ただしこのレースではブランビラ自身もチェッカーを受けた直後にハイドロによるスピンからクラッシュでレースを終え「モンツァ・ゴリラ」のニックネームにふさわしい内容だった。さらに女性ドライバーのロンバルディも、スペインで女性として史上初、そして現在まで唯一のポイントをゲットしていたのだ。

 #9号車の“横走り”は75年のイギリスGP。初の海外旅行で行ったシルバーストンで撮影したが、貧乏学生には望遠レンズは高根の花。確か200㎜のズームレンズを使用していたためにクルマが小さく不鮮明だが、大げさなリヤウイングが目立つ。

後にアップスウィパーにつながるアイディアだったのかもしれないが、詳細は不明。モノクロの#9号車は75年のオーストリアGPで、雨のオステルライヒリンクを疾走するブランビラ。赤・白・青のファースト・ナショナル・シティ・バンク・カラーに塗られた#10号車は、76年仕様の761。富士スピードウェイで行われたF1世界選手権inジャパンでの一コマ(富士スピードウェイ・広報部提供)。

実践デビューを果たすことのなかった幻の6輪車

1976 March 761 2-4-0・Ford Cosworth DFV

 F1GPマシンの6輪車と言えば、以前紹介したティレルのP34が思い起こされる。1976年のヨーロッパラウンド緒戦、シリーズ第4戦のスペインでデビューすると4レース目のスウェーデンGPでジョディ・シェクターとパトリック・ドゥパイエが見事1-2フィニッシュを飾っている。1976_march-761-2-4-

同年と翌77年の日本グランプリでは、2年連続でドゥパイエが表彰台に上っていたから、6輪車=ティレルのイメージをもつファンは少なくないだろう。だがしかし、マーチでも6輪車の研究が進められていた。2-4-0と命名されたマーチの6輪F1マシンはティレルのそれと違って、フロント2輪のリア4輪で、リヤにはフロントと同サイズのホイールが4本装着されていた。1976_march-761-2-4

ティレルの場合はリヤの大径ホイールが本来の目的だった空気抵抗の低減を阻害していたため、マーチではフロントは4輪のベースモデルと同様で、リヤを小径の4輪にコンバートしていた。残念ながらレギュレーションが変更されたこともあって実戦デビューを果たすことなくお蔵入りとなってしまったのは残念だ。

1976_march-761このマーチ2-4-0、オランダの国立自動車博物館、通称“ローマン・コレクション”に収蔵・展示されている。青と白に塗り分けられていた77年のテストカー(同年のワークスドライバーであるイアン・シェクターのネーミングがエンジンカウルに施されていたことからこう判断される)は以前にも紹介したが、ドニントンのGPコレクションには76年シーズンのワークスカー(の1台)であるベータ工具のカラーリングを施された2-4-0が収蔵展示されていた。


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