【ニッポンの名車】レースで勝つべく生まれた日産スカイラインGT-R(R32型) (1/3ページ)

ケンメリ以来16年振りに復活したGT-Rの名

 スカイラインR32GT-Rの功績を一言で言えば、「国産車のパフォーマンスとクオリティを一気に10年分進歩させたクルマ」ということではなかろうか。

 デビューは昭和が終わり、平成がはじまった1989年(平成元年)。初代スカイラインGT-R(PGC10)のデビューからちょうど20年後。2代目のケンメリGT-R(KPGC110)の生産終了から16年後、待望のカムバックだった。

 歴代スカイライン開発者からすれば、きっとR30スカイラインから、GT-Rを復活させたかったはず。しかし、R30ではツインカムエンジン(FJ20)こそ復活させたが、FJ20エンジンは、スカイラインのトップモデルの伝統、直列6気筒ではなく直4エンジンだったために、GT-Rではなく「RS」という名称に!?

 R31も、グループAレースのホモロゲモデルとして限定800台の「GTS-R」が登場したが、「GT-R」の名は見送りに(レースで最強と言えるパフォーマンスを持ち合わせていなかったから?)。

「いい加減、GT-Rを復活させたい」「レースで圧勝するスカイラインにしたい」という飢餓感が、稀代の名車、R32GT-R誕生の原動力になったのは間違いない。

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 事実、R32GT-Rの開発主管を務めた伊藤修令氏は、R30がレースでボルボなどの欧州車に歯が立たないのを見て、「スカイラインがレースに負ける姿は見たくない」と思い、GT-R復活を決意したとのこと。

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 というわけで、GT-Rは最初から「市販車でレース勝てるクルマ」というのが命題で、そのために当時のグループAレギュレーションで、最も有利なパッケージになるよう設計された。


藤田竜太 FUJITA RYUTA

モータリングライター

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日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)
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