自動車メーカーが本気で闘ったレースカテゴリー「グループC」って何? (2/2ページ)

空力に優れたボディで最高速は400km/hを超えた

 結果、ポルシェを筆頭に、ランチャ、ジャガー、メルセデス、プジョー、マツダ、日産、トヨタなどがワークス体制瀬参戦し、しのぎを削り合う激戦に!

 グループCの前身、グループ6の時代から、ポルシェ917、ポルシェ956を擁して絶対王者に君臨していたポルシェが、956、962Cという傑作マシンを開発し、カスタマーチームにも量産・デリバリーしたことで、参加台数が増え、他メーカーは「打倒ポルシェ」に燃えるという構図が完成。上記のように、多彩なメーカーが参戦したことで、ファンも情熱的なファンも増えどのレースも非常に見ごたえがあった。

 厳しい燃費制限があったにせよ、それ以外エンジン開発に制限がなく、空力に優れたボディを持っていたために、耐久マシンといっても、そのスピードはF1以上! 最高速度は400㎞/hをオーバーし、最高出力は800馬力にも達し、グループC=「時速400kmの燃費レース」と評されていた。

 ルマンでは、ポルシェが1982年から1987年まで5連覇し、マツダは787Bで国産初の総合優勝(1991年)、1985年のWEC-JAPANでは、星野一義が日本人では初めての世界選手権レース優勝を飾っている(マーチR85Gニッサン)。

 1990年には、当時メルセデスチームのドライバーだったミハエル・シューマッハも、メルセデス・ベンツ・C11をドライブし、世界スポーツプロトタイプカー選手権 (WSPC)に参戦していた。

 こうして異様な盛り上がりを見せたグループCだが、細かいレギュレーションの変更を経て、1991年から3.5リッターNAエンジン(当時のF1と共通)、燃費制限なし、最低重量750㎏という新規定が導入され、レースも短距離化されたこともあり、自動車メーカーはグループCに魅力を失い、多くのメーカーが撤退。

 日本の自動車メーカーもバブル崩壊の影響で手を引き、1992年をもってグループCカテゴリーは消滅した……。


藤田竜太 FUJITA RYUTA

モータリングライター

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