【ニッポンの名車】強烈なスペックの4WDスポーツ「日産パルサーGTI-R」

ラリーでの復権を目指して開発された

 パルサーGTI-Rは、1990年にデビューした4代目パルサー=N14型系のホットモデル。

日産パルサーGTI-R

 今ではその面影も見られないが、ダットサン時代から日産は海外ラリーに積極的に参戦していて、とくにサファリラリーでは、ブルーバード410、ブルーバード510、フェアレディ240Z、バイオレット(1979~1982年 サファリ4連覇)と大活躍し、「ラリーの日産」と評されていた。日産パルサーGTI-R

 80年代のグループB時代は、240RS(S110シルビア)で奮戦していたが、80年代前半、アウディクアトロの登場で、4WD時代が到来。1987年からランチアデルタがWRCで3連覇したことで、最強マシン=コンパクトボディ+4WDターボという図式が完全に出来上がる。

 このランチアデルタの成功を目にして、「ラリーの日産」の復権を目指して開発されたのが、パルサーGTI-R。全長3975mm、全幅1690mm、全高1400mm、ホイールベース2430mmのコンパクトボディに、シルビアなどでおなじみの直4気筒2リッターターボのSR20DETをチューニングして搭載。ターボを大型化し、クーリングチャンネル付きピストン+オイルジェット、GT-RのRB26DETTと同じように排気側にナトリウム封入バルブまで採用。極めつけに四連スロットルと大型インタークーラーまでを奢っている。

 もうこれでもかというスペックてんこ盛りで、ブルーバードSSS-R譲りの4WD(アテーサ)まで押し込んで車重は1230kg。エクステリアも、ボンネットの大型のパワーバジルと、巨大なリヤテールスポイラーが目を引いた。

 インテリアでは、ブースト計、油圧計、油温計が標準で、これらのスペックを見ても、日産がかなり本気でWRC制覇を目指していたことがうかがえる。実際、動力性能は突出しており、最高出力は230馬力、ゼロヨン13秒台、0-100km/h加速5秒台、最高速度230km/hオーバーと見事。

 しかし、期待とは裏腹にWRCでは鳴かず飛ばず……。最高位は1992年のスウェディッシュラリーの3位で、参戦からわずか2年で、WRCから撤退。以後、日産はWRCの舞台から遠ざかってしまっている。敗因は、重量配分の悪さ。車重は4WDターボとしてはかなり軽い1230kgだったが、前輪軸重は860kg。前後バランスでいえば、69.9:30.1という、超フロントヘビーで曲がらない。そしてフロントタイヤがすぐ傷むクルマだった。

 前後195/55-14のタイヤでは、キャパシティもまるで足りていなかった。また小さなボディに強力なエンジンと4WDを無理やり押し込んだので、クーリング面に難があり、「熱」と整備性の悪さもネックになっていた。

 とはいえ、当時の国内スポーツ4WDのライバルは、ギャランVR-4やレガシィRS、セリカGT-FOUR。ギャランはやがてランエボに、レガシィはインプレッサにと、ボディを小型化することで、大成していったわけで、この二台に先駆け、ブルーバードSSS-RからパルサーGTI-Rにスイッチした日産は、ある意味、先見の明があったといえる。(ランエボIなどは、パルサーGTI-Rと同じように、フロントヘビー+タイヤのキャパ不足で、大アンダーステアだったのも有名な話)

 市販車としては、意外に長寿で1995年まで製造。ラリーだけでなく、スーパー耐久の前身、N1耐久レースやプロダクションレースにも出場している。また、四連スロットルをはじめ、エンジン系のパーツは、同じSRエンジンを積むシルビアのチューニングパーツとして重宝されていた。高い志から生まれた、一種の異端児ともいえるパルサーGTI-R。このスペックのクルマが、新車で234万円で購入できたというのは、やはりいい時代だったのだろう。


藤田竜太 FUJITA RYUTA

モータリングライター

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日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)
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