日本初は地図フィルムに現在地を表示させる簡易的なモノだった! 日本のカーナビの歴史を紐解く

今のカーナビの原点ともいうべき技術はホンダが生み出した

 今や大半のクルマに搭載されているカーナビゲーション(以下:カーナビ)だが、乗用車に限ればもはや装着してないクルマを探すことすら難しい。そんなカーナビも30年前は現在地すら正しく表示できなかったという、今となっては想像もできない時代があった。そんなカーナビの歴史を振り返ってみよう。

 世界初のカーナビといえば、ホンダが1981年に開発した『ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ』を挙げないわけにはいかない。当時は電子地図もなく、GPSも使えない時代。そんな時代に、なんと「自動運転の実現を目指して開発」(開発者談)をスタートさせたのがこのカーナビであった。さすがに自動運転の実現はできなかったものの、目的地までの方向をディスプレイ上でガイドすることで目的地へと誘導したのだ。

 その内容は実じつにユニークだ。まず、地図は紙地図を透明のフィルムに印刷し、それをブラウン管モニターの前に差し込んで使っていた。最初に行う“儀式”は現在地を合わせることから始め、移動してエリアが変われば手作業でフィルムを交換した。一方、目的地は専用のペンでフィルム上にマーキングしておき、現在地はブラウン管から映し出される光によって確認。現在地との位置関係を確認することで目的地へと進んでいったのだ。ただ、フィルムによる差し替え作業は一旦停止しなければならず、かなり煩わしかった。

 ホンダはこの経験から地図の電子化は必須と考え、光ディスクに地図データを収録するということに関する特許を取得。驚くべきことに、その特許技術を無料で公開した。それは一刻も早い地図の電子化を進めたかったという、ホンダの強い思いがあったからにほかならない。メモリに地図データを収録する今となっては意味がなくなったが、カーナビの普及期は地図データをCDやDVDに収録する時代が長く続いた。まさにホンダが見せたこの対応が今のカーナビに発展につながったのは間違いない。

 これを機にカーナビはCD-ROMに地図データを収録する時代に入っていく。1987年にはクラウンがブラウン管モニター上に電子地図を表示する『エレクトロマルチビジョン』を搭載。

 電子化により地図データを収録したCD-ROMを、カーナビに挿入しておけばエリアを制限することなく連続利用が可能となったのだ。ただ、この時点で測位精度の低さは解決しなかった。クラウンのエレクトロマルチビジョンは、現在地の測位を地磁気センサーと車速パルスを併用。送電線の下を通過するたびにズレを発生し、その誤差は箱根から都内へ戻ると20〜30kmは現在地がずれることもあったほどだ。

 そして、それまでのカーナビの認識を大きく変えたのが1990年に登場したユーノス・コスモに搭載されたGPSカーナビだ。

 現在地をGPSによって測位できるようになったのは世界初。それまで現在地を必ず設定しないと使えなかったカーナビの常識を一変させたのだ。このカーナビを開発したのは三菱電機で、そのきっかけとなったのは南極での資源探査にGPSが使われていたこと。しかし、地図データの電子化でつまづいてしまう。それを救ったのが、当時、住宅地図の電子化を進めていたゼンリンだった。両社の協業により、ユーノス・コスモのGPSカーナビは誕生したというわけだ。

 ただ、ユーノス・コスモのGPSカーナビは地図上に自車位置を表示するだけ。施設検索もできないばかりか、目的地までのルートガイドも行えない。そんななか、ホンダは1990年8月に登場したレジェンドに、スクロールして希望の地図を表示させ、施設検索機能を備えた『ホンダ・ナビゲーションシステム』を搭載。

 翌年1991年10月に9代目クラウンに搭載された『GPSエレクトロマルチビジョン』では、初のルートガイド機能が搭載されるようになる。進化はさらに続く。

 1992年8月に登場した初代セルシオにはGPSエレクトロマルチビジョンに音声ガイドを追加。主要交差点では周囲を拡大して交差点名も読み上げるまでになり、この時、現在のカーナビの原型ができあがったと言っていいだろう。


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