市販化は幻に! 惜しまれつつもお蔵入りとなった国産スーパーカー4選

販売されていれば日本車の歴史が変わった可能性も

 スポーツカーの中でもひときわハイパフォーマンスで、エレガントかつスタイリッシュなボディを持ち、けっこう高価なクルマたち。スーパーカーの定理はざっとこんなものではないだろうか。

 この分野は長年、イタリアやイギリス、そしてドイツなどのヨーロッパ系のメーカーに半ば独占されてきたが、どっこい、わずかながら日本製のスーパーカーも存在する。そんなジャパニーズ・スーパーカーをピックアップしてみよう。

1)童夢-零

 ジャパニーズ・スーパーカーの代表格といえば、なんといっても童夢-零。レーシングコンストラクターの童夢が、市販化を目指して開発した渾身の一台。童夢の御大、林みのるがデザインしたボディは、ウェッジシェイプ+リトラクタブルライトという、「Theスーパーカー」のスタイリングだ。

「世界一全高が低いクルマ」という触れ込みで、全高は980mm。シャシーはスチールモノコック、ボディはFRPのセミモノコックという仕様だった。パワーユニットは国産にこだわり、日産の2.8リッター直列6気筒エンジン(L28型 145馬力)をミッドシップに搭載。

 1978年の第48回ジュネーブモーターショーに出展し、世界的にも大反響となったが、当時の運輸省(現 国交省)と車両認定に関しての交渉が門前払い同然で進まず、市販化は幻に……。プラモデルなど模型・玩具類は大ヒットし、スーパーカー少年たちを魅了した。

2)日産 MID4

 1985年のフランクフルトモーターショー、そして同年の第26回東京モーターショーにも出展された日産のMID4。開発を託されたのは、”スカイラインの父”として有名な故・櫻井眞一郎。V型6気筒SOHC(VG30型)をDOHC化したVG30DE型(最高出力は230馬力)を横置きに搭載し、シュタイヤープフ社(オーストリア)が供給するプラネタリーギアのセンターデフ+ビスカスを組み合わせた4WDシステムと4WS(HICAS)まで備えた、最先端のクルマだった。

 一方でマーチなど、量産車の部品を多数流用し、コストを抑えることも検討されたが、量産化を目指したMID4Ⅱは、いろいろ盛り込み予価2000万円と高価なクルマになった。ゆえに、プロジェクトは消滅。のちにGT-RのアテーサE-TSにつながるようなスポーツカーの4WD化、ハイキャス、ツインターボ、マルチリンクサスなどは、MID4にルーツがあっただけに残念な一台だった。

3)マツダRX500

 元祖ジャパニーズ・スーパーカーといえるのは、1970年の東京モーターショーに登場したマツダのRX500。マツダ創立50周年を記念に開発されたこのクルマは、カウンタックよりも早くガルウイングドア(正式には「バタフライウィングドア」)を採用した画期的な一台。エンジンはレース用にチューニングされた、10Aロータリー(250馬力)で、それをミッドシップに搭載。

 コスモスポーツの後継モデルという計画で、風洞実験を繰り返し、マツダ社内デザイナーの福田成徳さんが担当。ブレーキも4ポットキャリパー&4輪ベンチレーテッド・ディスクというハイスペックで、本気で高性能車を追求していたが、この一台の試作車だけで終わってしまった。

4)ヤマハOX99-11

 1991年に発表されたヤマハ初の四輪車になる予定だったクルマ。ヤマハは1989年からF1にエンジンを供給しており、「OX99」はブラバムBT59Yが搭載していた3.5リッターV型12気筒DOHC60バルブエンジンの名称だ。

そのOX99を公道向けにデチューン(それでも450馬力!)し、ミッドシップに搭載。「ロードゴーイングF1」という触れ込みで登場した。

 ムーンクラフトの由良拓也がデザインを担当し、車体センターに運転席、その真後ろに後部座席というタンデムの二人乗りで、シャシーはCFRPモノコック。販売価格は、100万ドル(約1億3000万円)と言われていたが、バブルが崩壊こともあり、1993年に計画は消滅してしまった。


藤田竜太 FUJITA RYUTA

モータリングライター

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日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)
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