ル・マン24時間の前座レースで完走! 青木拓磨選手が身障者スポーツについてFIA会長らとの記者会見に登場

東京五輪と同じ2020年のル・マン24時間レース本戦出場が目標

 見事なトヨタ&日本人ドライバー連覇で幕を閉じた第87回ル・マン24時間耐久レース。その前座レースとなる「ロード・トゥ・ル・マン(RTLM)」に、障がい者だけを集めて結成したフレデリック・ソーセ率いるSRT41から日本人ドライバーである青木拓磨選手が出場し、開催された2回のレースをともに完走した。

 青木拓磨選手は、元2輪トップライダーで、世界ロードレース選手権(現MotoGP)に参戦をしていた1998年のテスト中の事故によって脊髄を損傷。以来、下半身不随となったものの、その後そのフィールドを4輪に移し、4輪車いすレーシング・ドライバーとして積極的にレース活動を行ってきた。レース活動を再開した当時から、世界一のレースに出たい、という思いを持っており、現在憧れのル・マン24時間レースへの挑戦を模索している。

「RTLM」は、ル・マン24時間耐久レース参戦を目指すチームが、全長13.6kmの特設コースであるサルト・サーキットを実際に走行するという機会であり、GT3車両(メルセデスAMG、フェラーリ488、ポルシェ911、ベントレー、アストンマーティン・ヴァンテージ)が17台、そしてLMP3車両33台と多数のチームが参戦する。そのレースは、この24時間レースのレースウィーク中に2回行われるが、レース時間はともに55分間のセミ耐久レースとなる。

 青木拓磨選手が所属するSRT41チームの84のゼッケンをつけたリジェLMP3は、レース1、レース2ともに39位で無事にレースを完走している。

 そのレースが終了し、24時間耐久レースがスタートしたパドックでは、記者会見が行われていた。それは、今回のSRT41チームの参戦およびその活動内容を伝えるというもので、まずSRT41のフレデリック・ソーセ代表から、今回のRTLM参戦についての解説があった。

「私がなぜここに来ているのか、そして自分がどんな活動をしているか簡単に説明させてください。2012年に悲惨な出来事が僕の身に起きました。指にできた傷から人食いバクテリアに全身襲われ、1カ月ちょっと昏睡状態に陥り、目が覚めたときには手と足がなく、命を救うにはそうするしかなかったと医者に言われました。それはすごくショックな出来事でした」

「でもそこから、新しく自分に課された人生に意義を与えるために、何か見つけなきゃいけないと思い、小さい頃から大好きだったモータースポーツの世界へ飛び込むことに決めました。ただ、これまでレーシング・ドライバーとしての経験はなかったですし、99.99%の人が絶対に無理だと言いました。それでも、モルヒネを使いはじめ、そして治療がうまくいき、少しずつコンディションが整い2015年には、実際にクルマの運転を始めました」

「そして、2016年。私はここ(ル・マン)にいました。LMP2でクリストフ・タンソとジーン・バーナード・ブーヴェとともに走り、確か36位だったかな、ル・マン24時間を完走できた。」

「これは個人的にも栄誉なことだったけれど、じつは私にはもうひとつのプロジェクトがあって、もしチェッカーフラッグを無事に受けることができたら、ほかの障害者ドライバーのためのアカデミーを作りたいと思っていた。モータースポーツは障がい者が健常者と戦える数少ないスポーツのひとつだから、それってすごく”サンパ(素敵なこと、イイ感じ、いけてるという意味のフランス語sympathiqueの略)”だと思う」

「2016年に自分がル・マン24時間を完走したことで、ハンディキャップ・ドライバーへの道が開けたと思った。その勢いでアカデミーを作った。今日はこの場に3人の選手のなかから、青木拓磨選手に同行してもらった。バイクが好きな人はもちろん知ってると思うけど、彼はホンダ・レプソルで走っていた元GPライダーで、事故で下半身不随となったけれど、モータースポーツへの情熱を持ち続けていた。アカデミーの話を耳にした彼から連絡をもらい、会って意気投合し、選手に加わってもらうことになった」

「実際、走行するには、クルマを改造したり、いくつも越えなきゃいけない障害があり、ものすごく大変な作業を伴う。すごく複雑。だけど、不可能じゃない。そして、24時間を目標にする選手たちが走行するロード・トゥ・ルマンに僕たちのチームも参戦する運びとなり、いい結果も出せた。そういうわけで、私たちは今、ここにいるのです」

「もちろんハンディキャップのチームという目でどこか見られていることもあるだろうけど、そんな風に注目を浴びるのも悪くないことだ。それだけ障害者に対してのチャンスも広がる」とその意義を語った。

 そして、この後この場に駆け付けた記者たちの質問に対して、青木拓磨選手も答えた。そしてふたりは言う。「障害を持つドライバーたちがライセンスを求める数も増えていってる。以前なら誰もやろうともしなかった。なぜなら、どうせダメだとわかっていたから。でも今は、道が開けてきている」と。実際にFIAに新しくハンディキャップの委員会ができてもいる」

 また、会場に同席したフランス・パラリンピック委員会のマリエ・アメリー・ル・ファー委員長も「パラリンピックの世界でも、道具や補装具を買う予算があるかどうか、スポンサーを見つけたりするのは大変。フレデリックの話のなかにも出てきたけれど、私たちには乗り越えなきゃいけないバリアがたくさんある。どこで練習するのか、誰に掛け合っていくべきなのか、これは危ない、この病気はダメ、このスポーツはやっちゃいけないなど、そういう(制限をかけてくる)メンタリティってすごく重荷になっている」

「モータースポーツはお金がかかるスポーツだけど、私たちで言えば、車椅子とか、補装具とか、障害に合わせてそれぞれ改造して揃えていかなきゃいけない。でも、その装具の技術面でブレーキになっているのは、それらの進歩。もっと技術的な革新をしていかなきゃいけないけれど、開発が遅れている」

「それから、パラリンピックで結果をきちんと残しているというのに、健常者の選手とは違って、その成果がライセンス所持者に反映されていない。そして、ハイリスクな種目は、過剰すぎる扱いを受けているのが現状」とパラスポーツの現状もコメントした。

 さらにこの場にやってきたFIA(国際自動車連盟)のジャン・トッド会長も「このSRT41のドライバーやチームの全員に賞賛を送りたい。強い意思、メンタリティ、勇気、謙虚さを持って目標を定めて臨めば、不可能なことなどないと証明している。モータースポーツを促進させるためにあなたたちがやってくれている挑戦に感謝している。僕たちも支え続けていきたい」とコメントしてくれた。

 奇しくも2020年は東京オリンピック開催年でこれまで以上にパラスポーツに注目が集まっている。その同じ年に青木拓磨選手たちはフランスの伝統あるル・マン24時間レースへ参戦を果たす予定だ。道具を介することで身障者と健常者が互角に闘えるモータースポーツの世界で彼らの果たす役割は大きいと言える。


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