【日本で強いドイツメーカーなのに日陰の存在】自動車メーカー「オペル」のこれまでの波乱万丈を振り返る (2/2ページ)

GMの呪縛から解き放たれ、独自のテイストで成功となるか!?

 ヴィータ以外の1990年代モデルを紹介すると、アストラ、ベクトラ、オメガとクラス毎に順番にラインアップが並び、ハッチバックやセダン、ワゴンとボディ形状も豊富に用意されていた。また、スポーツモデルのカリブラも注目を浴びたものだ。装備もエコテックエンジンや当時は珍しかった流線型のエアロミラーなど、トピックスも多かった。

 ただ、やはりドイツ車といっても実質GM製というのは、クルマ好きを中心に知られていたことで、実際にもGMの世界戦略として、GM、オペル、いすゞで分担開発を行っていた。たとえばいすゞ・ジェミニはオペル・カデットをベースに開発されて販売されていたなど、ドイツ車の身上であるプレミアム感が薄いというのが当時のオペルの印象だ。ちなみにドイツ本国で聞いても、日本で言うところのカローラ的なイメージというクルマが多かった。

 肝心のディーラーも東邦モータースやいすゞが扱った時代もありつつ、1990年代はヤナセが販売。最終的にはGMが直営で販売するという変遷があって、安定しなかったのもあるだろう。ヴィータは安かったものの、中型のベクトラセダンを500万円ぐらいで売っていた。ヤナセが売ったからヒットしたというのもあるが、かなり強気だったと言え、最終的には販路拡大につながらなかったのは事実としてある。

 そのほか、迷走していたのが、ミニバンのザフィーラで、ご存じの方も多いと思うが、当時GMと関係の深かったスバルからトラヴィックとして登場したことには驚いた。エンジンなどの仕様が違ったとはいえ、価格はスバルのほうが安いという珍現象だったのも、結局はオペルの戦略のブレの露呈につながり、ますます苦境に陥った感じだった。

 と、右往左往した1990年代のオペルだが、GMの呪縛からも解き放たれ、心機一転、日本市場でどこまで頑張れるか。存在感のある独自テイストのデザインなど、オペルらしさは健在だけに、成功してほしいものである。


近藤暁史 KONDO AKIHUMI

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