昔はいまの軽が巨大にみえるほど小さかった! 軽自動車規格の歴史と時代を作った名車3選【黎明期編】 (2/2ページ)

今の軽自動車の礎を築いた名車たちが続々誕生

黎明期の軽自動車の名車その1:スズキ・スズライト

「国民車構想」にいち早く反応したように見えたのは、スズキ(当時は鈴木自動車工業)だった。以前から開発していた軽自動車を完成させ、1955年7月に「スズライト」を発表。リアエンジンによる後輪駆動が当たり前だった当時の小型車の概念を覆し、フロントエンジンによる前輪駆動を採用したのは画期的なことだった。足踏み式の木製織機製造メーカーだった鈴木式織機が、四輪自家用車メーカーへの進出を果たした事実は世間に衝撃を与える。

 より乗用車的な「スズライトフロンテ」はスズライトから受け継がれた大人4人乗車を可能とした室内(2+2)や、便利なリアトランクといった前輪駆動車ならではのパッケージングが好評で、モータリゼーションの波にも乗り、モーターサイクル店を中心としたぜい弱な販売網にもかかわらず、一定の成功をおさめた。今日も軽自動車のトップメーカーのひとつであるスズキが、軽自動車のマーケットにおいて確固たる地位を築く礎となる。

黎明期の軽自動車の名車その2:スバル・スバル360

 日本の機械遺産に認定された名車、スバル360が発売されたのは1958年。スバル伝説の名エンジニアとして知られる百瀬晋六氏は、「大人2名と子ども2名、もしくは大人2名と100kgの荷物」という国民車構想で求められた乗車定員の条件ではなく、「大人4人が快適に座れる」居住空間を追求。軽自動車規格の範囲で、軽自動車よりも車格が上の小型乗用車を超える性能と実用性を備える軽自動車づくりを目指した。

 百瀬氏はスバルの前身企業の中島飛行機時代に培った航空機の設計思想を活かし、当時としては珍しいフルモノコックボディと、四輪独立式のサスペンションを採用。軽くて強い車体と、高い走行安定性を実現しながら、ランニングコストの低減にも苦心。大衆車としての理想を徹底的に追及した。

 発売当初のスバル360の車両価格は42万5000円だったが年々安くなり、1969年発売の最終型では30万9000円から買えるようになる。当時の庶民でも無理をすれば何とか手が届く価格と、大人4人乗車でのロングドライブを可能とした秀逸なパッケージングを備えたことで大ヒット。コンバーチブルやスポーティなモデルも追加され、日本に自家用車の普及を促した。

黎明期の軽自動車の名車その3:ダイハツ・ミゼット

 昭和の中期頃、ダイハツ・ミゼットが発売されたのは1957年。初期型は徹底的な簡素化によりルーフもなく、メーター類は速度計と燃料系のみで、バーハンドルと呼ばれる「く」の字型のハンドルが付いた、まさにひとり乗りの3輪オートバイに荷台を付けただけのようなクルマだった。機動性と経済性の高さにより、酒屋や食料品店などの配達のアシとして、当時の多くの零細企業に大変重宝された。

 250ccの空冷2サイクル単気筒エンジンは、わずか8馬力ながら、狭苦しい日本の下町の路地を軽快に駆け抜けるポテンシャルを備えており、積載量は300kgを誇った。

 年々改良が加えられるたびに「乗用車化」が進み、MP型と呼ばれる後期型では軽自動車規格を満たす360ccエンジンを搭載。最高速度は80km/hに達し、積載量も350kgに拡大。

 2名乗車の立派なキャビンや丸形ハンドルも備わり、グッと乗用車っぽくなった。生産は1972年で終了したが、その後も東南アジアの一部では、現役の運搬車として活躍している。


マリオ高野 MARIO TAKANO

SUBARU BRZ GT300公式応援団長(2013年~)

愛車
初代インプレッサWRX(新車から28年目)/先代インプレッサG4 1.6i 5速MT(新車から8年目)/新型BRZ Rグレード 6速MT
趣味
茶道(裏千家)、熱帯魚飼育(キャリア40年)、筋トレ(デッドリフトMAX200kg)
好きな有名人
長渕 剛 、清原和博

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