三菱ファンの悲しみに比べればスバリストは幸せ! ランエボ10世代に渡るスバルとの闘いの歴史を振り返る (1/3ページ)

インプとランエボは古き良き時代を戦った「戦友」!

 スバルでは「安心と愉しさ」を標榜しながら、運転の愉しさの象徴であるはずのMTやターボエンジン搭載車は減る一方。北米市場重視と思しきラインアップ展開が強まるばかりであるなど、いちファンとしての不満はもちろんある。しかしながら、それでもなおスバリストはかつての宿敵、三菱のファンに比べれば死ぬほどシアワセだ。

 WRCはやめてもWRXというクルマは存続。レースやラリーで活躍する勇姿を拝むことができるし、技術的なフィードバックも反映され続けている。このご時世で燃費やパワーはどうなるのか心配されるものの、ちゃんと次期型も出ることが明言されている。

 さらに、STIという組織は健在であるばかりか、高額な限定車が瞬間的に完売してクルマ転売ヤーの餌食にもなるなど、ますますブランド力を高めている。三菱ファンの悲しい心境を思えば、ただひたすら感謝するほかない。

 恵まれたスバリストに対し、往年の三菱ファンは本当に気の毒だ。トップスポーツモデルのランサーエボリューションは絶版となってすでに久しく、モータースポーツ活動を展開するラリーアートも実質的には消滅してしまった。クロカン四駆の雄、パジェロも今はない。軽自動車は実質日産に奪われ、「日産の主導で開発した新型eKシリーズは素晴らしく出来が良い」などと玄人筋から高く評価されるのも悲しい現実だろう。

 ランエボが培ったハイテク四駆のAYCは理論的に進化して、電動化されたアウトランダーなどにそのDNAがかろうじて継承されている、と解釈するぐらいしか心のよりどころがないのではないだろうか。そんな三菱ファンの悲痛な心情は、察するに余りあるばかりである。合掌。

 そこで今回はリスペクトの気持ちを込めて、かつての宿敵ランエボの歴史をスバリスト目線で振り返ってみた。現役当時は不倶戴天の敵ではあったが、今となっては古き良き時代を戦った「戦友」として愛おしく思えてならない。たとえわずかでも、往年の三菱ファンの皆さんの慰めになれば幸いである。

1)ランサーエボリューションI

 発売は1992年の9月で、初代インプレッサWRXより約1カ月早かった。最高出力は250馬力で初代WRXの240馬力を上まわり、スペック上の「2リッター世界最強」の座は最初からランサーに譲るという、インプ派にとってはまさに目の上のタンコブ。ストリートでも競技でもハンドリングやボディ剛性はインプのほうが高評価ながら、すでにこの時点で「トルクはEJ20より4G63が上」という評判が広まっていたのが悔しく、インプ派の筆者は地団駄を踏んでいた。

2)ランサーエボリューションII

 発売は1994年1月で、筆者が初代WRXを買った時期とほぼ重なる。最高出力は260馬力となり、前作では課題とされたハンドリングやボディ剛性も大幅に改善されたと聞いて、パワーにおいてはますます差をつけられた(インプが260馬力になるのはこの年の10月)。WRCのグループAでもガチでバトルすることになり、1994年のランエボはシーズン未勝利に終わるも、インプレッサが初優勝を遂げたアクロポリスでは、アーミン・シュバルツが駆るランエボが2位につけるなど不気味な存在に。

3)ランサーエボリューションIII

 1995年1月発売。穴だらけのフロントバンパーと巨大なリヤウイングの威圧感は凄まじく、ド派手な黄色いボディカラーも相待って、個人的には「歴代もっともバックミラーに映るのが嫌なランエボ」として、その存在を激しく意識。GSRは生産台数が激増したことから街で遭遇する頻度も高くなり、クルマメディアも「インプvsエボ」の図式を一層あおるなど、オーナー同士の対抗心はピークに達した。

 WRCでは1995年にスバルはチャンピオンに輝くものの、スバルがエンジントラブルで全滅したスウェーデンでエボIIが初優勝。スバルが得意なオーストラリアでもエボIIIに勝利を譲るなど、エボに屈辱的な敗北を喫した印象が今もなお強い。ちなみに市販車のWRXはアプライドC型まで三菱製のタービンを使っていたことも屈辱的であった。


マリオ高野 MARIO TAKANO

SUBARU BRZ GT300公式応援団長(2013年~)

愛車
初代インプレッサWRX(新車から28年目)/先代インプレッサG4 1.6i 5速MT(新車から8年目)/新型BRZ Rグレード 6速MT
趣味
茶道(裏千家)、熱帯魚飼育(キャリア40年)、筋トレ(デッドリフトMAX200kg)
好きな有名人
長渕 剛 、清原和博

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