なぜトヨタばかり? 日産やホンダがタクシー車両に本格再参入しないワケ (1/2ページ)

クラウンタクシーが日本のタクシーの歴史を担ってきた

 いまや東京都心部を見渡せば、街なかを走っている法人タクシーの車両はJPNタクシー、クラウンコンフォートやクラウンセダンばかり。かろうじてY31セドリックタクシーも走っているが、JPNタクシー以外はすでに生産を中止しており、JPNタクシーへの車両入れ換えが進む今では、都内では減っていく一方となっている。ただ、MPVスタイルのJPNタクシーを嫌い、生産中止間際にクラウンコンフォートやクラウンセダンを発注し、いまも未登録のままストックしている事業者もあると聞く。

 また地方都市では、JPNタクシーの価格が高いこともあり、東京などの大都市で使われていた程度の良い(走行距離が少ないなど)クラウンコンフォートやクラウンセダンタクシーの中古車で車両の入れ換えを行っている事業者も多く、都内に比べればJPNタクシーの増え方は鈍化傾向にある。

 初代クラウンが1955年にデビューした当時の日本では、タクシー車両といえば外国車やトラックシャシーそのままの上にセダンボディを架装した国産車ばかりであった。初代クラウンは国産初の本格乗用車を目指すだけでなく、トラックシャシーベースの“なんちゃってセダン”ではなく、本格国産乗用車ベースのタクシーを走らせたいという願いもあって開発されたといわれている。

 初代以降歴代クラウンは、シビアな条件で乗り続けるタクシー車両のユーザーとなるタクシー事業者や乗務員から、さまざまな改良点や要望などを聞くことの積み重ねで、クラウン全体の性能向上(とくに耐久性能や独特の乗り心地)をはかり、高い信頼性を得て65年もの間ラインアップを続けることができたといっても過言ではない。つまり、日本のタクシーの歴史がほぼイコールでクラウンタクシーの歴史となっており、その流れをJPNタクシーが引き継いでいるといっていいだろう。

 クラウンコンフォート系が登場すると、本筋のクラウンはオーナーカーへ大きく舵をきったようなキャラクターを強めてきたが、その後もハイヤーや個人タクシーニーズが多いこともあり、少なくとも2008年にデビューした13代目ぐらいまではタクシーやハイヤーニーズを意識した開発を進めていたようである。クラウンコンフォートが50万kmぐらいは致命的な故障もなく乗り続けられるように設計されていたとされる一方で、クラウンのロイヤルやアスリートも30万kmぐらいはラクに乗り続けることができるようになっていたという。細かい部品交換作業の簡便化や、交換部品が安くなるような工夫もされていると、実際タクシー乗務員から聞いたことがある。

 またディーラーでも、個人タクシー向けに自動ドアなど、タクシー車両としての改造をパックメニューで用意したりと、販売サイドのバックアップもバッチリであった。つまり、クルマとしてタクシー車両に適しているだけでなく、販売サイドのバックアップも充実しているので、必然的にクラウンが好まれていた(タクシーとして多く走っているので、再生部品も豊富にあるのも魅力のようだ)。しかし現行モデルでは、パトカー仕様も用意する予定はないという話を聞くほど、“はたらくクルマ”色を排除しようとしているので、随分といままでとは勝手が異なってきているようだ。

 かつてはセドリックタクシーをラインアップしていた日産は、タクシー向け車両としては日産車体で生産される「NV200タクシー」のみとなっている。ハイブリッドではないものの、LPガスだけでなく、ガソリンでも走らせることのできる「バイフューエル」仕様も用意しており、走行距離が伸びるなどタクシー仕様へ向けた配慮はしているのだが、いかんせんライトバンスタイルそのままというのが、事業者や乗務員の間では抵抗が大きい。

 実際は単にライトバンをタクシー仕様にしただけでなく、旅客輸送のために細部を改良しているのだが、JPNタクシーのスタイルすら、タクシー業界内ではいまも抵抗を示すひとも多いなかでは、ある意味「論外」とする話も多く聞く。日産は日本国内のタクシー車両などという、ドメスティックでミニマムなマーケットを見限ったとも業界ではいわれている。


小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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