「速すぎる」ために決勝レースは不出場! 「誰も知らない」中谷塾理論がアメリカをどよめかせた日 (1/2ページ)

ワークスチームに打ち勝つために試行錯誤を繰り替えす

「ル・マン24時間レース(以下ル・マン)と言えば、レース好きならば誰でも知っているだろう。しかし「セブリング12時間レース(以下セブリング)」を知る人はマニアに限られるはずだ。アメリカ合衆国フロリダ州にある飛行場跡地を利用したコースで、マニアには知られた伝統的なこのレース。僕は1997年に参加させてもらったのだが、日本ではまったく報道されなかったので知る人は一部の関係者しかいない。今回は「誰も知らないシリーズ1」として、このセブリング12時間レース参戦での顛末を記しておきたい。

 セブリングは1952年から開催される耐久レースで、当時は世界選手権がかけられる世界耐久選手権(WSC)の一戦としても組み込まれていた。ル・マンが開催される前の3月に行われ、マシンやチーム、ドライバーの最終チェックをする舞台として活用されるケースも多い。かく云う僕自身もル・マン参戦の布石としてテスト参加することになったのだ。

 搭乗するマシンはライリー&スコット。アメリカでは有名なレーシングカーだが、日本ではまったく知られていなかった。搭載するエンジンはフォードの6リッターV8オールアルミニウム製自然吸気エンジンで、650馬力の最高出力を発生していた。カテゴリーは総合優勝を争うWSCクラスであり、ライバルはWSCを転戦するフェラーリ333SPのワークスチームやライリー&スコットのワークスチーム、プライベートチームなどだった。下位カテゴリーにはシボレー・コルベット、ポルシェ911、フェラーリ512などのワークス、セミワークスチームが居並ぶ。

 僕を乗せてくれたのは「スクリーミング・イーグル」という地元のプライベートチームで、チームオーナーが個人で走らせる弱小チームだ。セブリングのロケーションはフロリダのディズニーランド近く。そのため僕らはディズニーランド内のホテルに宿泊した。

 初めて走るセブリングのコース、ライリー&スコットのマシン、チームも初めてで初モノづくし。12時間の耐久レースゆえ4人のドライバーで交互に走るので少ない練習走行時間の短い時間しか乗る機会がない。

 チームに合流したら挨拶もそこそこに直ぐに自分用のシートを作成しなければならない。耐久レースなだけにシートが合わないと速く走れないし身体を痛めてしまうのだ。

 発泡剤で自分用に型を取り、表面を仕上げ、後は何度も乗り降りしながら自分で仕上げていった。メカニックは耐久レースの準備のため、ひとりのドライバー用シートにずっと付きっきりでいるわけにはいかないのだ。夜遅くまで作業を繰り返し、一応満足のいくシートができあがったが、走ってみないと具合はわからない。レース用のシートは走らせて気に入らなかったらゼロから作り直すこともある。

 初めて走るコースは元飛行場ということだが路面が傷んでいてバンピー。コースレイアウトも旧滑走路を使った部分はやたらコース幅が広く、走行ラインが読めない。一周5.8kmほどのコースだが、初走行はチームの若手エースドライバーに7秒の大差をつけられて終了した。

 2回目の走行では3秒差、3回目には2秒差まで詰めたが、次はスタートグリッドを決める予選だ。本来なら若手エースがアタックするのだろうが、チームは僕にアタックを命じる。おそらくはル・マンに参戦するチームからの指名で、僕はマシンのセッティングを自由に決めていいという条件のもとに引き受けたのだ。


中谷明彦 NAKAYA AKIHIKO

レーシングドライバー/2023-2024日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

中谷明彦
愛車
マツダCX-5 AWD
趣味
海外巡り
好きな有名人
クリント・イーストウッド、ニキ・ラウダ

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