「電動化」「脱炭素社会」なんて氷山の一角! 大転換期を迎えた自動車業界と日本の危機 (1/2ページ)

自動車が誕生したときのように仕事の取捨選択が起こる可能性も

 脱炭素へ向け、生き残りをどうするかの判断は、自動車業界内だけの知識では難しい。単に新車開発や販売を脱炭素にできればいいわけではないからだ。

 また、現在の電源構成などを基にしたライフ・サイクル・アセスメント(LCA)を参考にしても、回答は得られない。国のエネルギー政策の行く末を視野に入れなければ、未来を予測できないからだ。LCAとは、いまの話でしかない。その意味で、アナリストや経済学者などは、過去から現在までのデータ分析によって今を語る仕事であり、未来を予測できる人材は限られている。専門分野に深く関わる人ほど、なかなか未来を予測できない時代になっているのである。

 100年前の20世紀序盤、1920年までの欧米社会は、まだ馬車がガソリンエンジン車と混在し、明かりにはランプやローソクを使っていた。そこからガソリンエンジン車が普及しだし、電灯がはいってくる。電話もつながるようになったが、電報も併用されていた時代だ。人々の暮らしは19世紀から大きく変化し、馬車の事業者は廃業に追い込まれ、ランプの灯油を売っていた事業者はガソリンスタンドへ転身した。同じように、21世紀に入り20年を経た今日も、100年前と同じように仕事が取捨選択され、新しい価値が入り込み、そこに新たな事業も起こるが、廃業せざるをえない業種も生まれるのである。

 クルマでいえば、CASE(コネクティビティ・オートノマス・シェアー・エレクトリック)が時代の先端で、それらを達成することが当面の目標と考えられているが、もはやそれだけでは済まないことは、アップルEVの話題が騒然としたことでもわかる。

 アップルがiPhoneとして打ち出したスマートフォンの価値は、もはや電話が移動電話となった域を超え、情報通信さえも超えて、財布代わりであったり、見守り機能であったり、暮らしを支えるあらゆる価値や安心を提供する中心的端末となった。それを生み出した企業がEVをつくるとしたら、どのような価値を創造できるだろう。


御堀直嗣 MIHORI NAOTSUGU

フリーランスライター

愛車
日産サクラ
趣味
乗馬、読書
好きな有名人
池波正太郎、山本周五郎、柳家小三治

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