バブル景気と衝撃の崩壊が起こった1990年代! 当時の若者が喉から手が出るほど欲しかったクルマ4台 (2/2ページ)

歴史的スポーツカーも1990年代を象徴する存在だ

3)日産スカイラインGT-R(R32)

 バブル経済のピーク、日経平均株価が3万8915円の最高値をつけたのは1989年12月29日。そんな1989年は国産車に良作が多発したビンテージイヤーともいわれている。そんな1989年を象徴するのが日産スカイラインGT-R(BNR32)だ。

 その年、フルモデルチェンジした8代目スカイラインは5ナンバーサイズのボディだったが、8月に追加されたGT-Rはブリスターフェンダーを与えられた専用の3ナンバーボディで、エンジンも専用設計のRB26DETT型、駆動方式は元祖スポーツ4WDといえるアテーサE-TS、後輪操舵機能のスーパーHICAS(ハイキャス)も備えるという、まさに日本車らしいハイテク満載のスポーツカーとして誕生した。GT-Rというビッグネームの復活ということもあり、多くの若者が憧れたモデルとなった。

 445万円という新車価格は、いまから考えるとリーズナブルだが、とはいえ当時の若者にとってはおいそれと手が出せる価格帯ではなく、GT-Rに憧れつつ、2リッターターボのスカイラインGTS-tを選んでいたケースも多かった。とはいえ、BNR32の総生産台数は約4.4万台。高価なGT-Rとしてはかなりの数が出たのは、やはりバブル経済華やかなりし頃に誕生したモデルらしいところだ。

4)ホンダNSX

 1990年代、クルマ好きの若者が憧れたクルマとして忘れられないのは、ホンダNSXだ。折からのF1ブームにおける最強のホンダエンジン、ミッドシップレイアウト、ホンダエンジンを駆ったアイルトン・セナ、世界初のオールアルミモノコックボディ、自然給気ながらVTECの採用で280馬力を誇ったV6エンジンなどなど、さまざまなエピソードやディテールが憧れの的となったものだ。

 当時の価格は栃木で800万円、東京では800万3000円。栃木にある研究所に隣接した高根沢工場で生産されたことが、この価格差を生んだのだろうか。いずれにしても、当初の高根沢工場はNSX専用ファクトリーであり、工場を新規で起こしてしまうほど贅沢な作られ方をしていたことも憧れを強くしたものだ。なおNSXのコンセプトのひとつに「エブリデイ・スーパーカー」というものがあった。

 ゴルフバッグの収まるトランク、気軽に乗れるATの設定などはスーパーカーにスパルタンを求める層には刺さらなかったかもしれないが、スーパーカーに日常性を寄与したという意味では、世界中のスーパーカー・ブランドに影響を与えた1台ともいえる。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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スズキ・エブリイバン(DA17V・4型)/ホンダCBR1000RR-R FIREBLADE SP(SC82)
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