1980年代に若者が憧れたのは国産クーペだった! 羨望の眼差しで眺めるも「手が出なかった」クルマ4台 (1/2ページ)

この記事をまとめると

■1980年代といえばAE86(ハチロク)が誕生している

■だが当時の若者が憧れたのは別のクルマだった

■おいそれとは手が出せなかった4台を紹介する

ハイパワーなスポーツタイプが憧れの的

 1980年代の国産車というと何を思い浮かべるだろうか。2020年代にもっとも価値のあるモデルとなると1983年にデビューしたAE86型カローラ・レビン/スプリンター・トレノかもしれないが、はたして1980年代に青春を謳歌していた若者たちはハチロクに憧れていたかといえば疑問だ。ハチロクは手の届くスポーツカーであり、本当に欲しいと願ったのは別のクルマだったりした。1980年代にリアルに若者が憧れたモデルを振り返ってみたい。

1)トヨタ・ソアラ(2代目)

 今回のキーワードは「憧れ」。この言葉には、手が届きそうで届かないというイメージがある。そうした意味で1980年代の若者にとって、まさに憧れだったのはトヨタ・ソアラ(2代目)だろう。最上級グレードの3.0GTリミテッドのメーカー希望小売価格は485万1000円。エンジンは7M型の3リッター直列6気筒DOHCターボで、最高出力は230馬力を発生した。この車格の2ドアクーペは、まさに余裕のある大人のモデルであり、レビンやトレノとは圧倒的な違いを見せつける迫力があった。

 なにしろ、この当時における3ナンバー専用ボディ(といっても全幅1725mmと今からするとさほどワイドではないが)というのは本当に贅沢で、しかも3.0GTリミテッドはエアサス仕様だったのだ。とはいえ輸入車でこのクラスを選ぶのは若者にとってはハードルが高すぎた。バブル経済が盛り上がっていた1987年には、ソアラに手が届きそうな予感もあったのだ。もちろん、それからほどなくしてバブル経済の崩壊が来るとは、当時の若者は誰も予想してはいなかった。

2)日産フェアレディZ(3代目)

 3リッターターボといえば、日産にも存在していた。ソアラのライバルとなるのは同じ1986年にフルモデルチェンジした2代目レパードだったが、当時の若者が憧れたのはむしろフェアレディZ(Z31)だったと記憶している。

 VG30型の3リッターV6 SOHCターボの最高出力は230馬力。スタイリングは北米ターゲットゆえにバタ臭い部分もあったが、ウェッジの効いたフォルムは、わかりやすいスポーツカーとして認知されていた。この3リッターターボを積んだグレードの新車価格は320万円(前期型)。

 これまた若者にはおいそれと届かない価格帯だったが、だからこそ憧れの存在となっていった。なにしろ、当時はスカイラインGT-Rもなく、日産のスポーツカーといえばフェアレディZ一択だったのだ。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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スズキ・エブリイバン(DA17V・4型)/ホンダCBR1000RR-R FIREBLADE SP(SC82)
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